No title
わたしは音楽が好き。
病める時も音楽があれば生きていけると楽観的に思っているたちではある。
家で一人になるタイミングがあまりに少ないので、通学通勤中に没入して聴くことが多いし、その時間だけは奪われないようにしている。
最近音楽が聴けない日があった。
基本的に夜なんだけど、何を聴いてもずっと「これじゃない」し、音楽が入る隙間がないくらい心に余裕がない日がある(続いている)。でも曲は口ずさむっていう不思議。
余裕がない時、わたしは大体希死念慮が沸々と湧いてくる傾向にあるけど、それともまた違う、「しにたい」って薄っぺらく思っても晴れない気持ちで押しつぶされそうになる。
ずっと呼吸が浅くて胸がいっぱいで何をしても飽和状態な感じ。
胸がいっぱいで何も考えたくない飽和状態なのは分かるんだけど、じゃあ何が詰まってて何が原因なのかは全く心当たりがない。強烈につらいこと悲しいことがあったわけでもない、幸せの意味の「胸がいっぱい」ってわけでもない、むずかしい。わからないってこわい。
Twitterもそうだけど、ほんとうに精神が異常を来してどん底から帰ってこれないような時って音楽なんてまともに聴いてられないんだよな。基本的には音楽は日常に溶け込む存在であれば良いと思ってるけど、そういう時に限っては「贅沢品」なんだなと思ったりもする。
— ナ (@e_p5w) June 22, 2023
この日は別にどん底から帰って来れなくなったわけでもない、今日みたいな思考停止してしまう飽和状態の日だった。
主婦が「子ども産まれてから本読んでない、ライブ行けてない、音楽聴けてない」って言うのをよく聞くけど、それって主婦だけじゃなくて忙しなく生きている現代人なら誰にでも当てはまる気がする。
社会が忙しすぎて、物が溢れすぎて、考えることが多すぎて、やらなければならないことも多すぎて心の余裕が無くなってたら、自ずと「娯楽」からは遠ざかってしまうし、そうなるとツイートのような「贅沢品なんだ」という思考に至ってしまうと思う。
こういった時、Twitterも娯楽と考えるわたしは自動的にTwitterが見れなくなっちゃう。物が溢れすぎてるって書いたけどTwitterなんてそう思えばそれの最たる例だったな。SNS社会の弊害だったりするのかな。
まあおそらくSNSネット疲れではあると思ったけどネットがないと生きていけないし、でもネットに押し潰されてしまう。何年経っても距離の取り方が下手なのなんとかしたい。心身健やかに生きていたい。
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