ヒナドレミのコーヒーブレイク 秘密基地
幼少の頃、私は家具の隙間にマットレスを塀のように立て、小さな秘密基地を作って遊んでいた。そしてその中で、一人時間を満喫していた。時には、フィギュアで戦隊ごっこをしたり、ミニカーを走らせてみたりした。私が身を置いていたのは、このような狭い狭い世界だった。
玄関で来客を告げるインターホンが鳴ると、自然に体が硬くなった。見ず知らずの人間は苦手だった。その人が家に入って来ようものなら、私は我が家の一番奥まった部屋の隅っこで、震えるしかなかった。工事のおじさん、保険会社のお姉さん、母の茶飲み友達でさえ、私は部屋に入って来ることを良しとしなかった。
来客が帰ると 私はホッとして、秘密基地に戻る。この神聖な基地は、誰にも汚させたくなかった。例え母親でも、私の基地に入って来ることは許さなかった。閉ざされた空間の中で 悦に入り一人遊びを楽しんでいる、私はそんな少年だった。
他の子が、屋外で鬼ごっこやかくれんぼをしている時も、私は我が家の秘密基地にいて 心まで閉ざして遊んでいた。私のこういった遊び(性格?)を知ってか知らずか、友達は遊ぶ際に私のことを誘ってこなかった。だが私は、それでも全然構わなかった。と言うより、一人で遊んでいる方が、どれだけ気楽だったかしれない。
そして私は、大人になっても 心を閉ざしたまま 自分の殻に閉じこもっていた。決して、自分を表に出すことはなかった。窮屈に感じることはあったが、それも悪くなかった。時には窮屈なことが心地よく思えた。猫のように ダンボールの箱に入って 毎日を過ごす方が、性に合っているようだ。
人付き合いが苦手な私は 仕事以外は外出もせず、書斎という箱の中で時を過ごした。さすがに、フィギュアやミニカーでは遊ばないが、時にはウォークインクローゼットに入り、クッションを置いて そこで時を過ごすこともあった。クローゼットの中で、幼少時代の秘密の小箱を開けて、当時の宝物を眺め 昔を懐かしむ。
こうして私は 許す限り『井の中の蛙』的な生活、世間から隔絶した生活をしてきた。だから私の時は、平成、いや昭和の時代で止まっているし、これからも、私の時は生涯 進まないだろう。例え進んだとしても、相当ゆっくりと進んでいくだろう。
自分が吸うための酸素が薄くなりそうなほど狭い 檻と言っても過言ではない場所は、いつもより時が緩やかに流れているようだ。ここは母親の胎内にいるが如く、この上もなく落ち着く。狭い空間に守られている錯覚さえする。井の中の蛙でいい、一生、大海なんか知らなくていい。ここが私の秘密基地なのだから。 完
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