見出し画像

第1回「ザ・トゥルー・コスト」


Tシャツ 1枚 ¥300

私が持っている中でおそらく一番安い洋服。


ゼミ以外の時間を使ってドキュメンタリーを観て対話する勉強会、「ドキュメンタリーを観る会」。
このnoteでは、観た「ドキュメンタリー」の概要と「対話」から得た学び、そして学びの中で「わたしは」どう考えるのかをまとめたいと思う。


ドキュメンタリーを観る

第1回は、アンドリュー・モーガン監督の「ザ・トゥルー・コスト ファストファッションの代償

華やかで目まぐるしく人を惹きつけるファッションの裏側には凄惨な現実がある。安い衣服のために削られたコストは、製造現場での低い賃金と劣悪な労働環境へ姿を変える。ファッションの「真の代償」を支払っているのは一体誰なのか、我々が買っている服に付けられているのは本当の値段なのか。エシカルファッションについて考える有名なドキュメンタリーである。

このドキュメンタリーは、縫製工場で働く人々や工場の所有者、ファッションブランド会社、フェアトレード会社、繊維農家など、様々なファッション関係者へのインタビューで構成されている。モーガン監督は、ダッカ(バングラデシュ)での建物倒壊のニュースにショックを受けてこの作品を製作したという。ニュースとは以下のものである。

2013年4月24日、バングラデシュの首都ダッカ近郊で8階建ての商業ビル「ラナ・プラザ」が倒壊して1,100人以上が亡くなった。建物内には様々な有名ファッションブランドの縫製工場があった。違法な増築が行われ、コストを抑えるため改修やメンテナンスが行われないまま老朽化していたこの建物では、多くの労働者が危険性を無視して働かされていた。

私たちの着ている服は誰がどのように作っているか。安く買った物は大切にせず、気軽に捨ててしまう。安全を削ってやっとのことで生み出された製品は、大量生産・大量消費の先に大量廃棄されていく。


対話をする

ドキュメンタリーは生の声を聞くという性質上、入れ込みすぎて感情的になってしまうなと私は個人的に思った。だが勉強会では、感情論ではなく、その裏にある歴史や主義、価値観を観察できなければならない。

今回の勉強会で中心になったのは、「自己責任」と「資本主義」の2点であった。

たくさんある工場の中で、選ばれるのは最も安く作れる工場である。衣服を買い取る業者がやって来て、向こうは同じものをもっと安く作れる、こっちも下げられないのなら契約をやめると言われてしまう。コストカットは止まらない。ドキュメンタリーにはファッションブランドや工場の雇用者側のインタビューも出てくる。バングラデシュでは、人々は自ら選んで縫製業務に就いているのであり、環境が劣悪であっても文句は言えないというのが彼らの言い分だ。

資本主義の法則に則れば、コストをできる限りカットするのは当然であり、また性能が同じならなるべく安いものを買うという消費の動きも至極真っ当の当たり前のことである。そうやって生まれ最大化された利益は全て自分のものにして良いことになっているし、そうやって生まれてしまった損失は全て自己責任として背負わなければいけないこともまた、疑いようのない当たり前というわけだ。

「当たり前」、この話はこの大きな当たり前の上からではどこに問題があるのかを把握することは難しい。誰が悪いかと言われれば、誰も悪くないのである。皆が世の中の法則に則って正しく賢い選択をした結果に過ぎない。世の中の法則、当たり前とはまさに、行き過ぎた資本主義なのである。

1989年にソ連が崩壊して、私が生まれた時には既に資本主義が世界の大原則になっていた。社会主義だとうまくいかないからダメなんだよねという空気を、私はテストの答えを覚えるように感じていた。ダッカでの建物崩壊事故や低賃金労働、生活の困窮は、自己責任と資本主義が自然法則のように当たり前である中で、それぞれが一番「良い」と思う選択をした結果なのである。転売と同じだ。法律に違反しているわけではなく、誰も取り締まることはできない。では感情に訴えるしかないのだろうか。法則に則った正しく賢い行いではないけれど、ひどいので値段を上げてエシカルブランドを買うのだろうか。本当はやりたいと思っていないけれど、意識が高いから買うのだろうか。


わたしは

お洒落は好きだ。お洒落している人を見るのも。

でも自分で着る服は、家族から貰ったものがほとんどだ。あとは誕生日プレゼントで買ってもらったちょっと高いワンピースとか。
そういえばディズニーに行く時、友達とバウンドコーデを組むために原宿のH&Mでセーターを買った。冒頭のTシャツは家の近くの激安衣服店で買った。それをずっと着ている。

こんなんじゃだめかな、流行の最先端とまではいかなくても、季節と場面に合わせた新しい服を着こなさなければ大人らしくないのかなと思っていた。大人らしさとは、世の中の流れの速さについて行くことだと思っていた。富と物の多さのような気がしていた。すっかり世の中の法則の中だ。

この会の中で、先生は好みだと言っていた。人を苦しめ利益を追い求めて作られている服、靴、鞄は好きじゃないから欲しくない。なるほど一番しっくり来た。安いから履けなくてもいいやとネットで靴を買う人に対して、「ちゃんと履いた方が良いよ…」と思うあの感じだ。あまり好きじゃない。今すぐ欲しいという気持ちも、靴屋をハシゴして歩き回るのが嫌だという気持ちも、靴は試し履きした方が良いし、服は試着した方が良いという考え方も、完全に好みだ。しかしその好みがきっと大切になってくる。タバコを吸う人が、ビニール袋を貰う人が、ゴミの分別をしない人がだんだん減って行くように。SDGsが推進されている。そういえば服のリサイクルも見かけるようになってきた。

エシカル商品を扱う店舗数はプチプラ店の店舗数よりも少ない。ネット販売もあるが、さすがに試着はしたい。扱っているデザインも当然少ない。身につける嗜好品である以上気に入ったものが欲しいとは思う。好みは人それぞれだ。エシカル問題がある以上やっぱりエシカル商品が好きだという人ももちろんいる。わたしはやっぱりデザインを多少優先したい。気に入った服でなければ長く着られないからだ。見るたび買った時のことを思い出すような、気分が上がるような、そんな惚れ込んだ服は大事に着るし大事に洗濯する。エシカルかどうかに加えて、大事にできるかが結構重要なのではないかと私は思う。もちろんエシカル商品も好きだ。裏側にいろんなエピソードがある。見た目や機能だけではなくエピソードごと身に付けている感覚が嬉しい。これも惚れ込む要因になる。服を買う時は試着をして、長く着ることを前提に考え、悩んで買う。そして買った服は大事に着ようと思う。古着も引き続き着る。汚れたところは刺繍で隠そう。これが私の今の好みだ。とても落ち着いた。

今まで好みだと思っていたことが世の中の法則だったり、世の中の法則だと思っていたことが譲れない好みだったり。好みと法則のせめぎ合いだったり。次回のドキュメンタリーを観る会は、ファッションの最先端を作るカリスマ女性編集長アナ・ウィンターの「好み」を覗く。あなたの好みはどうだろう。


このドキュメンタリーを見たあとに「エシカルファッション ブランド」で検索をかけていたら、予測検索に「エシカルファッションブランド 安い」と出てきた。せめぎ合いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?