ゲーム脳について言いたいこと
●はじめに
私はこれでも結構なゲーマーです。
R P G・格闘・シューティングなどをやってきました。現在は「プロ野球スピリッツ」だけをやっています。
RPGだけに話を限ると、のめり込み方は半端ではありませんでした。一本の累計プレイ時間が千時間を越すなど、一日八~九時間は休日にざらにやっていました。
それだけやると、まず目に疲れが…。瞼の奥が鉛のように重たくなるのはしょっちゅうでした。特にゲームをした翌朝に。
パソコンを買ってしばらくしてからネットゲーム(いわゆる〝ネトゲ〟)を始めました。戦争系です。キャラクター(職)にも依りますが、一撃で対戦相手を倒せる必殺ワザもあり、一日に三~四戦もやっていたことがありました。やり始めの頃は全体のルールも一知半解で、私が負け戦の直接の引き金をひいたことがあり、その様子は誰かに2チャンネルで落ち度を指摘され晒され、「○○○○(部隊名)にはロクな奴がいない」とあったので部隊長はカンカンです。
私は部隊長&アナザーメンバーにスカイプを使い、謝罪の一手に追い込まれました。
のちにその部隊は自ら進んで除隊させてもらいました。そのキャラ・○○○MAXに代わる○○○助に見知らぬ人から「頑張れよ」という激励の言葉とともに装備品などをごっそり頂いたことも。除隊時はドラマチックで、詳細は省きますが感動した人もいたようです。
一方でそのゲームは「こいつはゴミだカスだ」などと平然と中傷する者も、ゲーム自体を「クソゲー」と批判する者もいました。批判は誰にでもできます。特に、ゲーム中に表示されるマクロにはお互いの顔が見えないのをいいことに、果てしない誹謗中傷合戦に発展することも珍しくありません。
私は現在、そのゲームのアカウントを削除し、プレイしていません。止めてみて一カ月ほど経った今、心が何となく晴れてスッキリしています。ネトゲから出ていた魔の波動から解き放たれた好影響かもしれません。
ネトゲにはのめり込む要素が多分にあります。これが昂じると、いわゆる「ネトゲ廃人」ができあがるようです。すなわち「コミュニケーション不全」「日常生活における無気力」
「物忘れの多さ」に代表される症状に陥るようで、思考の硬直が起きます。
パソコンを前に、キー叩きやマウスをカチカチやっていること自体――電磁波被曝しながらです。
日本国内のアカデミズムや大手通信企業は、その影響を公然と否定していますが、それは少なからず肉体や心を蝕むことが、多くの研究者などからの報告でわかっています。
安全に対する確証が得られないから規制する。
危険に対する確証がないから規制しない。
前者は欧米、後者は日本を中心とする考え方です。国富である国民の健康に対する考え方がくっきりしていますね。
カナダにはVDT(ビデオ・ディスプレイ・ターミナル)を使った作業時間を一日四~五時間にしなさい、とか、妊婦は一切それをしてはならない、という法律さえあるのに、この国では野放しです。
電磁波は特に脳内ホルモンに働きかけるようです。
セロトニン、メラトニンなどにです。これらが破壊され減少が止まらなくなると、ウツになっていきます。ウツは昂じると自殺企図につながります。
自殺は、警視庁の発表などによりますと、しばらく年間三万人ペースを維持しています。
しかし、待ってください。不審死や行方不明者が近年、年間十八万人に達しているという報告もあり、「死者の七人にひとりは死因が不明」という発表もあります。ですから実際には〝国内の自殺者は年間十二万人の大台に乗っている〟との推測があるのも事実なのです。なお、公式には「遺書のない自殺」は〝自殺〟ではなく〝不審死〟扱いになります。
貧困や孤独、いじめや過度のストレスなどが原因としては多いのでしょうが、その背景に『ウツ』があるのは間違いないでしょう。
セロトニンはドーパミン、ノルアドレナリンと並ぶ三大神経伝達物質のひとつです。それは九○%が消化管、八%が血液中、二%が脳内に分布しており、精神・感情の安定、意欲を司ります。ドーパミンは快感・喜び・攻撃。ノルアドレナリンは不安・恐怖・怒り・意欲であり、激怒すると猛毒の物質に変わるそうです。
脳内でセロトニンを運搬する役目を担っているのが「セロトニントランスポーター遺伝子」であり、この働きが弱いとセロトニンの活動が鈍ります。些細なことで不安になったり、ネガティブな感情に支配されがちになります。
さて、電磁波がセロトニンにいかに働きかけるかですが、一九九二年アメリカのベッカーとイギリスのペリー博士の研究で、電磁波を浴びると脳の松果体からのセロトニンの分泌が抑制され、ウツ状態に陥りやすいことがわかっています。
セロトニンは本書における中心的存在です。頻出しますのでよろしくお願いします。
電磁波被曝が長期にわたって継続すればするほど人は心を病み、最悪は自殺です。
「ひきこもり」も近年目立ってきた現象ですが、これもバックに電磁波被曝がひかえている可能性大です。当事者の多くがパソコンあるいはスマートフォン相手に多くの時間を割いていることは容易に察しがつきます。先に挙げたネトゲには、「自宅警備員」。略称で、タクケイという呼び名を持った人たちも存在します。気晴らしにたまに散歩に出てみるのもいいのに、それすら拒んでいる人たちが多いでしょう。日光に満足に当たらない生活が続くとセロトニンが不足してくるのです。運動不足と相まって、栄養が偏っていることも考えられます。
電磁波被曝――セロトニンの減少――ウツ――自殺。このセットは深刻、かつ根深く進行中なのです。これを止める手だては? 本書ではそれをできるだけわかりやすく解説していきます。
電磁波とは?
その影響
昔なくて、今あるものを列挙すると――。
病気関連では、O-157、ノロウィルス、ADHD…。
社会現象では自殺者やひきこもりの増加などがあります。
そして何と言っても、電子機器が身の回りにあふれるようになりました。
すなわち、携帯電話、電子レンジ、IHクッキングヒーター、パソコン、タブレットなどです。
O-157に関しては、これは実は昔からあったのです。ただ人間がたやすく感染するように変わってしまっただけ。
なぜそうなのか? 個々の人間は六十兆個もの細胞が組み上がってできています。その表皮には、そこかしこに「皮膚常在菌」が覆いかぶさっており、これが感染症などから身を守ってくれているのです。
これが今、危ない。
「抗菌・除菌」でです。これらグッズは現在、ドラッグストアの棚からはみ出すぐらいです。実はこれ、皮膚常在菌をも殺しているのです。
それを殺すということは、コンピュータで言うとファイアウォールがなくなったと同様であり、シールドがないと、次から次へとウィルス感染します。ですからウィルスや悪玉菌に対して抵抗できなくなり、さまざまな症状に悩まされた挙句、命を落とす人も出てくる始末です。
電磁波に関しては、昔日よりも事態はかなり深刻です。
白熱灯(現在はLED電球)、設置電話は戦前からありましたが、この二つに関しては電磁波はごく微量しか検出されませんでした。
ですが現在は、我われの身の回りにあるある、高い電磁波を出すものが。
ノーベル文学賞作家であった川端康成氏は、晩年ウツに悩まされていたと言います。氏は寒がりで電気毛布を愛用していたらしく、それから発せられる電磁波がセロトニンの分泌を抑制していった結果、自殺した…確かに電気毛布は高い電磁波を出しますし、それを体に密着させて使用するとなると、どれだけ〝被曝〟するか、想像に難くありません。
スマホを含めた携帯電話は、我われの暮らしにそれこそ「密着」していますが、それの着信時は強く、電子レンジ並みの電磁波が出ます。その周波数は二・四GHz(ギガヘルツ)ほど、つまり、物質の主に水分を一秒間に二十四億回も振動させることになります。
また、携帯電話を一台ずつ十の字に配置し、その真ん中に乾燥させたコーンを一粒置きます。そして四台のケータイを同時に着信させた場合、コーンがはじけてポップコーンに変わるそうです。これは電磁波の熱効果と言われる現象です。
ケータイの出す電波の強さでは、それを買った時の仕様書などにその部分が抜けていることが多いといいます。
電磁波の熱効果をフル活用しているのが電子レンジ(マイクロウェーブ)です。
この調理機器は、食品に含まれるおもに水分を電磁波によって振動させて温めます。
少し前、アメリカでわが子を怒りにまかせて大きめの電子レンジに押し込め、チンさせた愚か者がいます。赤ん坊は全身が裂けて亡くなったとのこと。この国でも雨に濡れた小型犬を「可哀想だから乾かしてあげよう」と、チンさせた子どもがいますが、それもまた同じ末路をたどったそうです。
一方の非熱効果については、電磁波被曝においてキーとなる問題です。
これは人間の体じゅうをかけめぐる生体電流をかき乱し、身体の深部まで届いて遺伝子を損傷したり、メラトニンなどの脳内ホルモンの分泌を低下させたり(セロトニンは夜になるとメラトニンに変化し、眠気を誘います)、ガンや白血病の発生率を増加させるという働きがあるとされます。
電磁波の体への悪影響は十五年ほど前に、私は長篇『Mom(マム)』にまとめましたので、その抜粋をご一読ください。
(電磁波の)波長の短いものは、ガンマー線、X線という放射線の仲間で、紫外線とともにガンや白血病を引き起こすことから、以前からその有害性については明らかになっている。
電波(=電磁波)については大きく分けて二つの生体への影響がある。
ひとつは発熱効果で、電波が生体に入ると分子を振動させたりして、熱を発生させる。熱効果を利用したものの代表が電子レンジだが、人間の体には思わぬ悪影響をもたらすことになる。
また、人間の体が変動磁場に置かれると、体の中に渦電流が発生し、それがジュール熱をつくりだす。(中略)しかもこの発熱効果は、非熱効果が同時に起きるため、単に熱が発生するだけではない。
非熱効果――電磁波が体の中に入ると細胞の分子の間で電子の移動が起き、生体電気反応が乱されることによる影響が起きること。
(中略)
「ところで、この世界に『シューマン共振』があるのを知っているかな」
「ええ、自然界に存在する、ごく低周波の電磁波のことよね。その波長は人間の脳波の周波数にほぼ一致すると言われているわ」
「話がわかるじゃないか。実はこの星は生きているんだ。ひとつの生命体と考えていい。いわば人間は地球の子なんだ。この星はいくたの生命を、肉や骨格をともなった有機体に数多く送りだし、それが死ぬと種子として回収する。そして生命体はまた新たに有機体に宿る――この繰り返しだ。それを『ガイア仮説』として説明している学者もいる。人間の女には月経というのがあるだろ。あの周期にしろ、月の公転周期(二十七日余)と自転周期、それとほぼ一致しているじゃないか。人間は天体とともに生 きている。それが現代の科学者、天文学者にはほとんどわかっていない。
そこで話は電磁波に戻るが、『クロスカレント現象』というものも存在するのだ。その自然のおれの脳波と、人工の安っぽい電磁波が交差することだ。これが一番まずい。知っていたか?」
【地球の代理人? そこまで言うか。どちらにせよこいつは狂っているんだ。】
「おい、聞いているのか」
思考が別の空を泳いでいた杏子は、現実の世界に引き戻された。
「え? ああ、クロスカレント? 知らないわ」
「イオンのことは知っているだろう。人間の細胞からカルシウムイオンが漏れ出すとどうなるか、結果は今の異常な社会と言い切っていいぐらいだ。生殖異常・精神の変調・行動の不具合……例を挙げればキリがないほどだよ。少子化なんて言ってるが、気分的に結婚せず、意識して子どもを作らないのもあるが、子どもができないんだよ。物理的、科学的にな。もちろん、人工の化学物質の影響もあるだろう。ダイオキシンを筆頭に、トリクロロエチレンとか数限りなくあるだろうに。内分泌撹乱物質と電磁波とが手を組んだ時、行く末はこの文明の破壊だよ。人間の体もかなり痛めつけられているぞ。あんたは養護の先生だから、よくわかっていると思う」
以上が抜粋です。いかかでしたでしょうか。
電磁波の熱効果・非熱効果・クロスカレント現象・シューマン共振がここでのキーワードです。
●「勧告・見解」
なお、二〇一一年一月二十七日、スイス連邦政府公衆衛生局(FOPH)は、携帯電話に関する勧告・見解を発表しています。
1.車の運転中は絶対に携帯電話を使わない。
たとえ、ハンズフリーキットでも使ってはならない。
2.低出力のブルートゥース装置をつけた、(ヘッドフォンやハンドセットのような)ワイヤレスのハンズフリーシステムは、頭部の放射線被曝量は少ないので、使用するのは悪くない。
3.携帯電話を買う時は、その携帯電話のSAR(電磁波エネルギー吸収率)の低いものを確かめて選ぶべきだ。
4.携帯電話を使う際は、使用する時間を短くするか、あるいはテキストメッセージ(携帯メール)のどちらかにすべきだ。
特に子どもや青少年はこのことを遵守すべきだ。
5.可能ならば、通信状態が良好な時だけ、携帯電話を使うべきだ。
6.放射線曝露を制限する放射線シールドや同様の〝電磁波保護〟を謳った製品には気をつけるべきだ。なぜならば、そのような物は通信状態を悪化させるために、携帯電話がつながろうとして、かえってより強い出力(より強い電磁波)を出すためだ。
7.埋め込み式の医療機器(心臓ペースメーカーなど)をつけている人は、装置から携帯電話を少なくとも三○センチは常に離すべきだ。
携帯電話の使用に際してのデメリットに対し、日本国内では「正常な」意見がほとんど封殺されています。なぜなら、それを取り巻く産業は年間数兆円規模の利権が絡んでいるからです。
再び言いますが、国富としての国民の健康と、利潤や内部留保、どちらが大切かは自ずとわかるはずです。
電流を流しながら生きている人間
人間は、微弱な電流を流しながら生きています。
その中に〝脳波〟があります。
それはβ(ベータ)波、α(アルファ)波、θ(シータ)波、δ(デルタ)波があります。なお、本書のテーマであるゲーム脳に関しては『ゲーム中の脳波は痴呆者と同じ』という報告もあります。β波は通常の活動時や緊張した状態の時に出る脳波で、α波は脳が休んでいる時、あるいはリラックスした状態時、θ波は浅い睡眠時、δ波は深い睡眠時に出ます。
痴呆者は脳の前頭前野の働きが低下(逆に統合失調症患者では活発)しており、β波の出現状態がα波のレベルまで低下。痴呆の重い人はβ波とα波のレベルが完全に重なっているそうです。
また、ゲーム中には人により四つのタイプの脳波が出ると言われています。それは――
① ノーマル脳人間タイプ
② ビジュアル脳人間タイプ
③ 半ゲーム脳人間タイプ
④ ゲーム脳人間タイプ です。
タイプ①、②は、日常生活にあまり支障をきたしませんが、問題は③と④です。③は、ふだんから前頭前野の働きが低下してしまっており、少しキレたり、集中力があまり良くなく、物忘れが多い方です。④は、小学校低学年あるいは幼稚園児から大学生になるまで週四~六回、一日、二~七時間はゲームに打ち込んできたタイプで、キレる人が多く、、ボーッとしていることも多いし、集中力が低下しており、物忘れはひじょうに多いと言えます。
しじゅうゲームをしていないと、そわそわして落ち着かないゲーム中毒レベルになりますと、もうゲームすることが本能のようになってしまい、古い脳まで動いていきます。
脳の神経回路が組み上がるのは十歳ごろです。
そのあたりでテレビゲームをすると、ゲームをすることが神経回路に組み上がり、思考が硬直します。
ですから子どもの頃の体験が大切なのです。
ある子どもが、死んだカブトムシに「電池を入れれば動くんじゃないか」と言ったという有名なエピソードがありますが、それと似たことが深夜の病棟内で起きたことがあります。
それは心停止を告げるアラームがナースステーションにひびきわたり、当直医が直ちに急行したまでは良かったのですが、研修医であろう〝彼〟のしたことは、その患者とをつなぐ機械のチェックのみ。その間に当の患者は亡くなってしまったのです。
このように、人間の息づかいが伝わりづらい人になってしまうということは、コミュニケーション能力が低下している可能性大です。これは、幼少期において、親とのスキンシップが欠如、あるいは不足しているかも知れません。それは成長ホルモン放出ホルモンを出せづらくするのです。それは精神的不安定をも招くのです。(セロトニンの欠如と似ていますね)
なお、前頭前野の働きを高めるには「お手玉」がいいそうです。
電磁波が体に及ぼす悪影響
① がん
白血病をふくめ、脳腫瘍、乳癌、肺癌、リンパ腫 その他
② うつ病
前述のとおり
③ 畸形、流・早・死産
④ 慢性疲労症候群(免疫不全)
アメリカだけで患者二○○万人!
⑤ 精子減少、インポテンツ
⑥ アルツハイマー病
⑦ ストレス・電磁波過敏症(アレルギー)
⑧ 湿疹、または発疹
⑨ 白内障
⑩ 睾丸の異常
⑪ 視力低下
⑫ 脳
⑬ 頭痛
⑭ 不眠
⑮ ダウン症、自閉症
⑯ 湾岸戦争症候群
⑰ パーキンソン病
⑱ 学習障害
⑲ 乳児突然死
どうでしょう。これだけの疾病・症状が疑われています。電磁波被曝は恐ろしいですね。
静磁場と変動磁場
静磁場
強度が変わらない、または非常にゆっくり変わる磁場。安定している。数ガウスという強度でも生体への影響は見出されていない。リニアモーターカーや医療機器MRIから出る数千~数万ガウスの静磁場は危険である。直流磁場のこと。
変動磁場
強さがたえず変わる磁場。日常利用する交流の電気で発生。生体に害。生物の細胞が周波数に応じて振動→この原理を応用したのが電子レンジ。
サイクロトロン共鳴
カルシウムイオンのほか、ナトリウムイオン、カリウムイオンなど何種もあるイオンは電気をもつ。それは地球上の静磁場、あるいは地球磁場と反応して磁場とは直角の方向にぐるぐるまわる。そこに人工磁場があてられると、角度が非直角の場合、イオンの回転速度は人工電磁波の影響をうけてねじ曲がり、らせん回転をする。その結果、イオンが細胞から飛び出してしまうこと。(漏洩・流出の現象)
お次は、世の中全体に発したい私のメッセージです。お読みいただけると幸いです。
生きるって何だ?
教育ってなんだ。
古今東西の学者・研究者・識者そして教師たちが頭を悩ましつづけてきた大問題。
日本のそれ、特に中学高校のは「学問」とはほど遠い感がある。一点でも多くテストで点数を獲らせるために、父兄は学校だけでは物足りず、息子や娘を塾に行かせる。いい学校――いい会社と進んでくれれば親も本人も安心で、世間体を気にする親は鼻が多少高くなるかも。
そのようなことに「勉強」は使われているのだ。
一方で勉強は、思春期のとかく落ち着きのない心を諫め、安定させる効果もあるという。オトナが「これやれ、うまくやればいいトコ行かせてやる」だけだと思っていた。
しかし、この社会で何とか通用する知識・教養を身につかせるためだけなら、学校は要らない。集団で社会に適応させ、そこでやっていく訓練をさせる場なのだ。そんな一本調子を嫌う者もいる。反抗・不登校・退学――さまざまな形となってそれは現れる。
たとえまともに高校・大学を卒業しても正社員になれず、フリーターとか派遣社員にしかなれない人たちがいる。
また、高卒の場合、何と、就職しても七割以上が三年以内に職場を去っていくという現実も。足りない人材は大卒から供給されるのだ。雇う側からすると「三年」は見習い期間もいいところ。それからいよいよ本番というところで辞表を出されるのだから、たまったものではない。人材育成には時間もお金もかかる。
話は学校の役割に戻る。職場にも実社会にもなじめず忍耐力もない人材を何故こんなにも多く輩出してしまったのだろう。
それは人を育てる人、つまり教師に問題があるし、ひいては親兄弟、友人らにも原因があるだろう。この現代、「聖職者」が進んで犯罪を起こすことがある。
人は人を見て育つし、コンピューターのモニターばかり見ていてもロクなもんじゃない。ネット上で詐欺をはたらいていた中学生が御用になったことがあるが、彼はパソコンオタクだった。
人間社会で生きていく以上、人間同士のコミュニケーションはもっとも重要だ。それが人生そのものをも変えていく。最近、児童虐待と育児放棄などが社会問題化しているが、その根っこに〝周囲との人間関係の希薄さ〟がないだろうか。ネット上だけのコミュニケーションではこころの機微とか息づかいが伝わりづらい。育児雑誌にしてもそう。「ページめくりゃすべてわかる」ことはない。〝人〟という字は互いが寄りかかっている象形文字だ。
もうひとつ、特筆すべきは陰湿な「いじめ」が増えていること。
中学生などがそれを苦に自殺するといった報道を目の当たりにすると、こころが痛む。いじめは加害者のこころの醜さの投影・反映であり、人のこころを水にたとえたら、清いものあれば、濁っているものあらば、清濁併せ持っているものもいる。
それは本能的なエネルギー移動であり、濁った水は清い水にあこがれ、恋してる。だから濁った水の加害者は清いそれの被害者を構いたがる。被害者に優しくまじめな人がほとんどなことから、それが伺える。これがいじめの正体だ。
わたしは問いたい。この世に生きるすべての人々に対して。
目的と手段を取り違えてませんか? と。
まずPC・スマホ・タブレットなどのツールに対して。これらはあくまでツールである。公共スペースなどで多く見られるが、スマホをタップしている。いじっている。これはもう社会現象だ。
別にとりわけ必要じゃないのに皆、サイバー君とかチャットさんになっている。ケータイの出す電波は強い電磁波である。それをかぶることは、立派な被曝であるのだ。
この世にあるいわゆる「便利なモノ」すべてには何かしら悪影響のあるものが少なくない。一例を挙げると、魚や肉を買った時に必要だった白いトレーも、中身を出してしまえばただのゴミ――それを燃やせば猛毒のダイオキシンが発生したりして…。
PCもスマホも、使えない人は今や時代遅れと呼ばれるだろう。あるから使いたいのは人情だ。実はこの国、機械に人間が使われてしまっている。だから見ず知らずの人と繋がるのはいいが、本来の人間関係がどんどん疎遠になってしまっているんです。
インターネット、ライン、ゲーム。これらが生活の一部になっている人は多い。これも、「あるものは使わねば」という一種の使命感に駆られている気がする。
人間、何のために生きているのか?
カネ? 地位? 名誉? 異性? 物質? 環境破壊? 犯罪?
全部オカドちがい。
特にお金はそれを目的にしてしまうと、怖い。
それのために人を殺す者が世界中に大勢いる。それがあるゆえ人間の健康や自然環境も害される。それを手助けしている汚吏も同罪。一部には麻薬そのものである。
バブル時代を振り返るに、ああ恥かしや……札束握りしめ、マネー遊戯に奔走する日々。祭りの後は……急にウツが到来……その反省として首を吊るためのロープが札束の代わりに……お金が多くの人々を不幸にした。
お金も、名誉も、地位も、勉強も、資格も、人間がこの世で生きていく上では目的たり得ず。それは手段でしかないんだよ。
抗菌・除菌グッズが定着してからしばらく経つ。O157騒ぎから、薬用石鹸とかがよく売れるようになった。だが、チベットなど高地に住んでいる原住民は目が充血し、陽にも焼けて赤銅色になっていて、〝汚く〟見える。あれは高地ゆえの厳しい環境に順応した結果なのだ。何カ月も風呂に入らず、そのかわり肌に浮き出た皮脂で強い紫外線から身を守っている。それに対し、それに対し、「ガングロ」はみっともなかった。あれは趣味の世界だからだ。
人間はもともと汚い生き物である。どれだけ汚いか?
私の近所で認知症がかなり進んだ老人がいて、自分の糞尿を部屋の壁に塗りたくっていたという。以来、同居している家族のメニューからカレーライスが外された。
これは物質面での汚さ。
心理面では、キリスト教にいう「原罪」が、これでもかぐらいある。誰でもひとつぐらいは心当たりがありそうなので、いちいち書かない。
だから抗菌除菌でいくら物質面をきれいにしたって、心まではきれいにならないのだ。
とりあえず、旧約聖書からのメッセージを
人の心は何よりも陰険で
それは直らない
誰がそれを知ることができよう
エレミア書 第十七章 九節
人間真の、自分の言葉で語らないと、他者を感動させることはおろか、理解さえしてもらえないことがある。
今まで私は小説も含めいろいろ書いてきて、どれだけ自分の言葉で語ったろう。単なるお遊びに終始していなかったろうか。
借りものの言葉も時折混ぜるのはよい。しかし、身についていない、浮き上がった言葉を使ったところで所詮むだな千言万語。人には動いてもらえない。
――近頃の若者は、小利口だと言われる。最小限の努力で、最大の効果を上げようとしている。人間、誰しも評価されたいと思っている。しかし、一定の評価を得るためにはホネを折らねばならないことは多いわけで、それに耐えられなくなると「退社」「退学」「退部」ということが起きる。一時は「根性のないヤツだ」で済んだ。最近は単調さ、退屈さに我慢できず、ドロップアウトを繰り返す若い人が多い。
たとえば勉強は単調さの反復かもしれない。将来、どれほどの役に立つかわからない断片的な知識を吸収し、テストでどれだけそれらが身についているか試される。それができるばかりに有名大学に入り、出世街道を昇りつめる人もいれば、勉強嫌いでも仕事で功績を挙げる人も。
勉強は退屈かもしれないが、その中身には「面白い」部分もある。その部分を自分でどれだけ拡大できるかだ。筆者は高校時代、特に古典が好きだった。「徒然草」を携行していたことも。その神髄は古人(いにしえびと)の心情を知ることである。「面白くないものは面白くない」のはわかる。が、それでは生きることさえオモシロクなくなるだろう。
小利口に、表面だけわかったふりをして、働いて、遊んで、時には笑って、時には泣いたり、時にはキレたり……。
私も偉そうに言えた柄じゃないが、「何を目標に生きていいかわからない」とか「何をやっても満足できない」という人は、たぶん自分の限界を知らないから。生きる喜びを知らないから。
それの解消法。スポーツでも仕事でも勉強でも趣味でも、どれでもいい、とことんやって、寝食を忘れるぐらいやってみること。
生き物には厳しい環境が不可欠である。
高山性の動植物を見るとそれがよくわかる。
私も山に分け入って一度経験がある。日頃のトレーニング不足がたたり、目的地のはるか手前で〝ビバーク〟を余儀なくされたことが。何せ歩けないのだから仕方がない。昼前だというのにテントを張り、夜が来るまでうだうだ過ごした。「明日はだいじょぶかなー」虚ろに寝袋の中で思っていたところ、灯火が。現実の灯火ではなく、心の闇の中に。本当に仄かに、しかししっかりと。翌朝、天気は悪かった。が、脚力は戻っていた。そして目的地は当初と変わったものの、アップダウンが激しく、長いコースを無事に下山することができたのである。
あれはきっと『希望の灯火』――普段は決して顕われることのない、自己保存の灯火だったのだろう。
だから「どう生きたらいいかわからない」とか「生きるのはつらい」または「自殺したい」とかほざいている諸君よ、一度極限状況を味わってみよ。どんな形かはわからないが、たぶんほとんど生きるのに必死になるはずだって。
今の親は自分の子を私有財産だと思っているので、たとえば顔や身体が傷だらけになって外から帰ってくると、多くはひどく心配する。それから原因を本人の口なりから究明しようとするだろう。それがいじめやけんかだとわかった場合、多くはその相手を憎む。
かなり前の時代、子供が泣きながら帰ってきて、それが先生からぶたれたことがわかったら、親は「先生にぶたれるほど悪いことしたんでしょ」と、またその子をぶつか、あるいは放っておいたとたという。
今はシナリオが違う。――体罰教師は教育委員会なりPTAから弾劾され、親はいじめやケンカ相手の親に対し、損害賠償を請求することがある。モンスターペアレントならば、もっと些細なことでも訴えてくるだろう。せせこましい。
パソコンの画面相手に、ネット君やチャットさんになっているあなた、自分の可能性を伸ばしていますか。操作法をひとつ憶えるでなく、一度モバイルも含め、それらに背を向け、本当の「厳しさ」を味わってくれ。それの意味を知ったら、たぶん自分にも周囲の人たちにも、もっとやさしくなれるだろうから。
まとめ
身の回りにあるもの…。
昔と今では大きく異なっています。
現代は、とかくストレス社会と言われます。
その正体とは…
人間の質そのものは昔から、さして変わっていません。変わったのは社会環境です。
どこが大きく違うかと言えば———いわずもがなですが、コンピューターの職場進出などです。
もともとコンピューターは軍事用に開発され、今や現代社会の隅々にまで浸透を果たしました。これなしにはまともに社会は機能しなくなるところにまで来ています。
ですが、コンピューターを筆頭に、ゲーム、スマートフォンなどへの依存もまた強まっており、それら(特にゲーム)に熱中するあまり、依存症にまでなってしまうケースがしばしば見受けられます。
今や、JRやバス、地下鉄などはスマホ使用者の巣窟です。
暇つぶしや遊びのためとはいえ、鼻につきます。どこが楽しいのでしょうか? はっきり言ってスマホって、そんなにあなたがたの人生にとって無くてはならないものですか?
それとも人生の一部ですか?
スマホに嵌まっている人ほど、対人コミュニケーションに難がありそうだと思えるのは私だけでしょうか?
コンピューター仕掛けのゲーム。
まず、モニターからは電磁波が。それは神経伝達物質に働きかけて、一部を壊すのです。
セロトニンが壊れるとどうなるか? まず言いようのない不安に駆られるでしょう。そしてヘタをすれば自殺企図に走りかねません。
また、ネットゲームともなると人とのつながりも生まれますが、一方で心を深く傷つけられるプレイヤーも出てきます。
ネトゲにもし嵌って、出口らしきものも見つけられなかった場合、「物忘れの多さ」「キレやすくなる」「コミュニケーションに障害が出る」など、さまざまな症状が出て、ついつい夜更けまでプレイすることによって、まず生活リズムが崩れてしまい、学校や会社に行けなくなったりし、さらに症状が進行すると、果てには非業の〝死〟が待ち受けているのです。
脳波や神経伝達物質にも当然変化が。それは前述したとおりです。
人間は動物です。
笑い、泣き、喜び、怒りなどの感情をもつ生き物でもあります。
人間として生まれてきた以上、他者との関わり、つまり対人コミュニケーションは非常に重要な位置を占めます。
人間はたったひとりでは生きられないのです。
一個のパンをあなたが買ったことを思ってみてください。
それが作られるには、まず種子が発芽して小麦になり、それが収穫されて小麦粉になり、パン工場で発酵・焼成され、誰かの手によって運ばれ、店頭に並び……という手順が踏まれるのです。そこに行きつくまでに何人の人が関わっているでしょう?
さらにそのパンにジャムがついていたとしたら、その原料となる果実を誰かが収穫しているはずです。
人間はまた、自ら望んで生まれてくる人は誰ひとりとしていない。名前すら誰かにつけてもらうしかないのです。
そのもらった命を自らの手で幕引きをする、すなわち自殺はとても悲しいことなのです。
現代は機械仕掛けです。
とくにコンピューターは、0・1の二進法で演算をし、われわれに二者択一をつねに迫っています。
それは「生きるか・死ぬか」かも知れません。
だとしたら「神様か悪魔か」という選択もあり得ます。どちらを取れば幸せになれるかは、あなた自身の選択にゆだねられています。
パソコンもスマホもテレビゲームも全部電気仕掛け。
電気のあるところには必ず電磁波があります。それを過剰に浴びるということは……もうわかりますね?
今と未来を変えうる力を持つのは、あなた自身の選択なのです。
幸せを選択したいのであれば、電子機器をただのツールと認識して行動してください。パソコンもスマホもゲームもただの手段であり、人生の目的たり得ません。
お金を宇宙の中心と捉える人生を選択するのは愚かな行為です。それは「必要に応じて与えられる」という考えにシフトすることで、目的から手段に変えられます。
お金も人間のまわりをぐるぐる回る、天下のまわりものに過ぎないのですから。
了
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