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“決まった性で生まれてくるのは突然変異だ” CSI:科学捜査班 グリッソムの台詞

海外ドラマを観ていると、身近には無いシチュエーションや言葉に出会える事が多い。

心に響いて忘れられない言葉がある。

CSI:科学捜査班のグリッソムの言葉。

牡蠣には性別がない
環境によって性を選ぶんだ
人間も同じ選択肢を持っていたのかも
本来は自由に性別を選べたのなら
決まった性別で生まれてくるのは突然変異だ

出典:CSI:科学捜査班 シーズン5第 8話

まずこのエピソードの内容を説明すると。

女性が下半身と喉を掻き切られた無惨な姿で発見される。
被害者女性を司法解剖すると、元の生物学的な性は男性で、男性から女性への性適合手術を受けたことが判明する。
殺害犯逮捕のため被害者の周辺を捜査する中で、性適合手術の前後の心身への負担や結婚やパートナーへのカミングアウトなど、当事者が抱えるさまざまな問題が描かれている。


先に挙げた言葉は、エピソードの最後。
グリッソムが被害者ウェンディの親友だった、同じくトランスジェンダーであるミモザに事件の経緯を説明する。
ミモザはウェンディに理解を示さなかった彼女の両親も経緯を知るべきだが、どう説明をすればいいかと悩む。
その時にミモザにかけた言葉。

きっとこのエピソード内でも、誇張した表現や描写があるだろう。
海外ドラマや映画に出てくるアジア人が、決まって気弱なお人好しだったり、ITに強いコンピューターオタクであるように。
当事者の方は不快に思う描写があるのかもしれない。
グリッソムの言葉も、そんなのは綺麗事だし牡蠣と一緒にするなと言う人もいるかもしれない。

しかし、そうである事を差し引いても多様性やトランスジェンダーとその当事者がぶち当たる様々な障壁に焦点を当てたエピソードを20年も前に制作していたことに驚いたし、少なくとも私の心には刺さる言葉だった。

これは「選択は自由」とかいうことではなくて、
「常識」「普通」と思っていることは本当にそうなのか、という疑問を持つべきだということなのだと受け止めた。

私は生物学的には女性。性自認は女性。恋愛対象は男性。
と、いわゆる「普通」のパターンだ。
しかし、この「普通」は不安定である。
何故なら「40歳過ぎて未婚の出産経験なし」。
近年、私にこの条件が加わってから「普通」は消え去り、途端に「おかしい人」となった。
自分ではどうしようもない感情がそこにはあるのに。
事実、ミソジニーはびこる私の勤務先において未婚で子供がいないという時点で私は「女」ではない。

私のこれと、性同一性障害やその他さまざまなジェンダー問題を抱える人とを一緒にしてはいけないのかも知れないが、マイノリティとして生きる事のほんの一端は分かる気がしている。

「普通」「正常」なんて不安定なもの。

最後にこの言葉も紹介したい。
別のトランスジェンダーの被害者が務めていたバーに聴き込みにきたグリッソムとニック。
バーを仕切るメルセデスとの会話の中で、彼女に好奇の目を向けてしまったニックに対するメルセデスの言葉。

怖がらないで 怪物じゃない
本当の変態はスーツを着て
家でパパやってる

出典:CSI:科学捜査班 シーズン5 第8話

私が「普通」だと思っていること、「正しい」と思っていることは本当にそうなのか。
私が見ている世界は実在するのか。
そんなことを考えさせられる台詞に出会えたエピソードだった。

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