欲しいもの その2
幼い頃、成功というのはキラキラしたものだと思っていた。芸能人に代表されるような、メディアでもてはやされる存在。目指すべきはああいうイメージなのだと漠然と思っていたような気がする。
ある一時期、私はなんとも質素な部屋に住んでいた。必要最低限どころか、下手すりゃ必要なものもないような生活である。しかし私はそれを特に不自由とも感じず、むしろ掃除が楽でいいとさえ思っていた。
そんな部屋へ友達が遊びに来たのだが、うちに入るなり彼女は言った。
「なんにもないとは聞いてたけど、ほんとに何もないね」
憐れむように彼女は笑い、私は密かに傷ついた。案の定、彼女は私を貧乏人認定し、古着を譲ってあげる、と何度も言った。余計なお世話だと思うのと同時に、ある程度のきらびやかさがないとバカにされることもあるのだということを結果的に学んでしまい、「成功=キラキラ」の方程式が色濃くなった。
動物のお医者さんをやっている知り合いがいる。その人はいつも同じような服を着ており、食事も後回しになることも多いようである。世の流行りにも敏感ではなく、その人の注意はすべて、小さい生命を救うことに捧げられている。
なんて尊い! と私は強い感銘を受けた。
それまで、好むと好まざるとにかかわらず、大勢から沢山の注目を集めることを目標とするのがあるべき姿勢だと刷り込まれていた私に、その人の在り方は凍った胸を溶かしていくように思われた。
これだ! とガッツポーズを決めたくなった。武者震いもきた。
といって、今から私も動物のお医者さんを目指そうというのではない。
空に向かって手を伸ばし、届かない雲をつかもうなんてしなくていいんだよ、と言われているような気がした。
上じゃなく、目の前のこと、例えばうちの猫の頭をなでることに、全身全霊100%の喜びを感じてもいいんだよ、というメッセージのように思えた。
よく考えたら当たり前のことなのだが、私はいつの頃からか、それを自身に禁じていたことに気がついた。
なぜだろう。
おそらく恐かったのだ。バカにされるのが。貧乏人だとか、取るにたりない奴だとかいうレッテルを貼られるのが。蔑むような目を向けられるのがイヤで堪らなかった。
自信が欲しいな、と思った。
貧乏人だと思われようが、大した人間じゃないとバカにされようが動じないぐらいに、心の芯を太くしたい。
必ずしも「成功=キラキラ」でないことはもうわかっているはずなのに、それに完全に背を向け、後ろ指さされているにも関わらず、平然と口笛吹いていられるぐらいの自信はまだない。
私の葛藤は今日も続く。
散歩道で見つけたサボテンの花がもうすぐ咲きそうである。
「そんなもん楽しみにしてるの!?」
前述の彼女ならそう言って吹き出すのだろうか。
「そうやで。あんたの欲しがってるヴィトンのカバンより、サボテンの花がええわ私は」
正面切ってそう言い切れるようになるのはいつの日か!!
「カバンなんざ鬱陶しい、手ぶらが一番や!」
とも付け加えてやりたい。
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