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#9 母は専業主婦

母は専業主婦で、祖母も専業主婦。
というか、祖母の場合は、時代が時代。

祖母は、母が若い頃に天国へ行ってしまったので、
私は写真と、母から聞く話でしか、祖母を知らない。

祖母はとても穏やかで、料理上手な人だったそう。
写真の顔を見ても、優しさでいっぱい。
子どもが食べ飽きないよう工夫をしたり、
母の嫌いな野菜も知らないうちに、
食べてしまっていたと。

当時、どうやって作ったのか分からないドーナツや
甘味噌がぬられたおやきなど、おやつも手作り。
あの味が忘れられない。
もう一度、食べたいなぁ、会いたいなぁと
母が話すのを聞いて、
私も食べた~い、作って~と、
祖母の残した器を見ながら話をしたものだ。

また、料理だけでなく、掃除も裁縫もできた人。
お嫁に持ってきた着物を仕立てなおしたスカートは、
細かなシャギーが入っていたらしい。
大のお気に入りの母は、
寒い冬にもそのスカートをはきたがり、
駄々をこねたというエピソードで、
いつも盛り上がった。

母は、祖母のような”奥さん”を目指していたんじゃないかな?
「お母さんのように、できない」と、何度も聞いたことがある。

母の時代は、ちょうど端境期だったかもしれない。
けど、結婚したら会社を辞めて家庭に入るのが
まだまだ、一般的だった。
現に、母が勤めていた会社も、そんな所だった。

私は小さい時から天邪鬼

母が専業主婦だから、私は別の道に進みたい。
まぁまぁ小さい時から、そんな風に考えていた。
身近にキャリアウーマン的な人がいたわけでもない。
誰かから、何かを言われたわけでもない。

もしかすると、
メディアから流れる、女性の社会進出系キラキラ情報に、
まんまと乗せられていたのかもしれない。
こんな私でも、バリバリ働く女になれるかもしれない!みたいな。

もし母が、ワーママだったら、
私はどう考えていたのだろう?

ママはお仕事している。
だから私は早々に結婚し、子を産み、専業主婦を目指す!
となったのか⁉
なったような気がする…

しかしながら。
どちらに進んでも『対岸の彼女』だ。

生物的スケジュールからズレた⁉

母は22歳で結婚し、私を出産。
6つ下の弟を産んだ時は、29歳だった。
「この年齢で恥ずかしい」と、幾度となく聞いたが、
今なら、ぜんぜんの歳。
1980年代は、まだそんな時代だった。

その後も、母から婦人科系のトラブルなど
聞いたことがなく、
更年期は大変だったようだけど、
(ようだというのは、娘として、とんと記憶になく、
当時、気遣いも手助けもせず、本当に申し訳なく思う)
それも乗り越え、今に至る。

だから、私の話を聞いた時は、えらく驚き、
心配をかけてしまった。

もし、
私が20代で結婚し、出産し、だったら。
子宮筋腫もあったかもだけど、知らないうちに
ホルモンバランスもなんとかなって、
小さくなっていき、調べることもなく、治療することもなく、
と、なったのか?

生物的な身体スケジュール通りに進んでおけばいいものを、
なんだか運よく総合職なんかに就いちゃって、
よせばいいのに、認められたい欲を出し…
って、道に行っちゃったものだから。

いやいやいや。
考えている人は、ちゃんといる。しかも、それが大半。
アドバイスくれた先輩もいたのに、
私が、天邪鬼に無頓着すぎた。

母は、
進学についても、就職についても、
何も言わずに、私のやりたいようにさせて
それを全力で応援してくれる人。

なので、結婚しろとも、子を早く産めとも
言ったことがなかった。(心配はしていたと思う)

妊活はぜず、治療を受ける件について伝えると、

「子がいない夫婦だって、世の中にたくさんいる。
ふたりで仲良く暮らしていけばいい。」
「しかも、あなたの歳から産んだら、大変よ~
あなたみたいな子が生まれたらどうする?
それこそ、育てるの大変だわ!(笑)」

と、サラリと言った。

孫を持つとは、どんな気持ちなのか?
孫と過ごす時間は、どんな感じなのか?

想像すると胸が痛い。

そして、これを書いていて思い出した。
私に、子どもができたら、祖母の名前から一字もらおうと
考えていたことを。
【澄】という字は、男の子にも女の子にも使える。

それは、
私も、祖母に会ってみたかった、という思いからだった。

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