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大江健三郎著 『静かな生活』を読んだ

                      ◇あらすじ

語り手のマーちゃん<わたし>は、20歳になったばかりの女性である。

両親と、知的障害をもつ兄(イーヨー)と、末っ子の弟(オーちゃん)と五人で暮らしている。 

ある夕食の席で、父が、<わたし>に将来の結婚相手の条件を聞き出そうとするが、彼女はイーヨーも一緒に暮らすから2DKの住宅を借りられる人で、そこで静かな生活がしたい、と話す。

彼女はそのころ父に対して、なにくそ!という反撥する気持ちを強めていた。そのため、父を動揺させるような発言を夕食でしてしまったと、後に内省する。

というのも、父がとある女子大でした講演がテレビで放映されてから、
家には2人の見ず知らずの男がやってくるようになったのだった。

一人は小さな花束を毎回置いていく。もう一人は透明な液体を容れた小瓶を置いていく。

それ以外にも、似た類の手紙や電話が増えていたため、<わたし>は、父に対して<軽い罰>を受けるべきだと考えていた。

花束の方の男は、花束に手紙を添えて、勤務先の名入り封筒で住所も書かれていたので、もう来ないでくれという主旨の丁寧な手紙を父が書いて渡し、その後来なくなった。

もう一人はただ小瓶を置いて行くだけで、手紙を渡すこともできず、<わたし>は瓶を見るたび重い気持ちになっていた。

父が仕事の関係で、母を伴いカリフォルニアへ数ヶ月滞在することとなり、家に子供たち3人になったある日、<わたし>はイーヨーを床屋さんへ連れていった。帰りが遅いので心配して見に行くとパトカーと人だかりがあった。聞くと、小学生の女の子の目の前で男が手淫し、挙句女の子の頭に体から出たものをかけ逃走したという性犯罪事件だった。

帰宅すると、イーヨーが先に帰ってきていて、いつも通り楽譜に赤い印をつけている最中だった。

その日から<わたし>はイーヨーが加害者ではないかと懊悩するようになる。

ある日、まだ温かい小瓶が家の前に置かれていたので、置いた当人を突き止めようと自転車で駅の方角まで<わたし>は急ぐ。
途中で、男が小学生の女の子を押さえつけ手淫していた。
<わたし>は近くの高台の家にいた住人に助けを求め、男は現行犯逮捕となった。

逮捕後警察から事情を聞き、小瓶を置いていた男が犯人だったことを知る。
<わたし>は、刑務所から出てきた男が、今度は自分を狙うのでないかというイメージが頭をもたげて怖くなるが、イーヨーが加害者かもしれないと懊悩する方が、よほど自分には怖かったのだと考える。

あらすじ終わり

※ここから私の感想

短編なのですぐに読めた。
しかし知的障害者のきょうだいを持つ若い女性の複雑な感情が扱わているので、わかりやすいかと言われればそんなことはなく、難解な作品だった。

20歳の女性からの視点で、著名な作家の父への反撥、青年期の知的障害のきょうだいを思いやる気持ちが描かれている。

作品内には、<なにくそ!>と、<懊悩>いう2つの主人公の心を表すキーワードがでてくる。
<なにくそ!>は、父への反撥で、<懊悩>は、知的障害の兄を思いやる気持ちだ。

主人公の20歳のマーちゃんが、性犯罪の現場を見つけて焦りと恐怖の中で女の子を助けようと咄嗟にとった行動(犯人を見据えて自転車のベルをならし続ける)は、現実でも若い女性ならこういった行動をとるだろうと思えたので、ニセモノっぽい不自然さや手抜きがなかった。

24歳のイーヨーが勃起するようになった時、スポーツさせなきゃな〜と言い出す父に反撥する娘、勃起しなくなると、良かったな〜という父に、やっぱり反撥する娘の姿に共感した。

家族の中で、自分だけが、父にとってのイーヨーの幸せではなく、イーヨー本人にとっての幸せを考えている、と主人公が考えているのである。
それが彼女なりの、家長でもあり著名人の父に抵抗するときの体勢なのだろうと思えた。

近所で性犯罪が起きたことで、兄を疑い懊悩するが、無関係だったことを知ったときの安堵感も強く伝わってきた。

“あの”大江健三郎の子でいることが、娘さんに与えた影響はどういうものだったのか。
「静かな生活がしたい」とマーちゃんが言っている冒頭の部分、どこまで実際の娘さん本人の考えなのかがとても気になった。


終わり

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