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3週連続、新幹線で山形から東京に来て思った、「慣れ」と「川の流れに身を任せること」について

どうも、しょうです。

最近は、3週連続で地元山形県から東京に来ています。

たぶん、4週連続になるかもしれません。

となると、少し慣れが起きてきます。

初めて山形から東京に行った18歳の頃は、時刻表を調べて、事前に切符を購入して、30分前には駅に着いて、10分前になったらホームで待って…と1つの旅行として、イベントとして「無事に新幹線に乗れるかな?」という不安を抱きつつ、新幹線に乗っていました。

新幹線に無事乗れたら、駅弁を食べながら、新幹線の独特の空気を楽しみつつ、新幹線が進むたびに情報量が多くなる景色に「異世界」と興奮していました。

それがいまでは、「普通」に感じてしまう。

電車に乗る感覚で新幹線を乗って、時刻表なんて見ないで、ふらっと切符売場に立ち寄って、「この時間にしよ」とさらっと決めます。

東京と山形間の新幹線は、1時間に1本で、◯時00分〜05分の間が多いため、「大体この時間に行けばいい」と目安が立てやすいです。

18歳の自分がまさかこんなにふらっと新幹線を乗っているなんて思いもよらなかっただろう。

18歳の自分は、「ドキドキ」と緊張しながら、新幹線を乗っていたのだろうから。

海外に行く飛行機も同じような感じだったな。

でも、何度もやっていくうちに慣れていきます。

もう新幹線に乗ることなんて慣れて、時刻表なんて一切見ません。

5分前になったら、「そろそろ行くかー」とホームに向かう。

人間慣れるんです。

初めて1人でBarに行ったときも「大人の雰囲気」とドキドキしながら行っていましたが、何度も通ううちに気軽に行くことができますし、

noteで書くのも、「こんな内容でいいかな…」と不安でしたが、「感じたものを素直に書こー」と気軽に書くことができましたし、

ムキムキな人しかいないジムも、「こんなオレが混ざってもいいかな…」と心配でしたが、「どうせ誰も見とらん」と気にしなくなった。

これも、「慣れ」が起きたからで、そんな心配や不安はただの「思い込み」ということに気づきます。

自分が勝手に想像した世界。自分が作った世界。自分の都合の良いように思い込む。

そのズレた思い込みから正しい認識に変えるためにも、「慣れる」つまり、数をこなすというのは必要だなーと思ったことでした。

特に、新しいことをやるときは、何かと思い込みの世界にどっぷり浸かってしまいます。

不安・心配ごとを無理やり作って「できない理由」を無意識に考えたり、そんなことを僕はしていました。

だから、前に進まないんだと。

正解ばかりを求めて、100%解答できることばかりに意識が向いていた。

それよりも、新幹線に乗っているかのように、景色(環境)が徐々に変わっていくことを楽しみつつ、

18歳のときの僕みたいに「東京ってどんな感じだろう?」という一種のアトラクションみたいなドキドキやワクワクを感じながらも、抵抗せずに、流れに身を任せていこう、と。

特に、人生で大きな変化があるときは、その流れに素直に身を任せる。

大体、大きな変化があるときって、流れに無理やり逆らうとすると、変な方向に行ってしまうことが多いです。

川の流れに逆らおうとして、コケて怪我をする。みたいな。笑

そんなことを感じました。

つまり、何が言いたいかというと、何度もやっていくうちに慣れて、最初の不安なんてどっかいってしまうよー、と感じたことでした。

では!

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