見出し画像

どうしてトレーナーを目指すようになったか?

久しぶりの投稿になります。

僕がトレーナーを目指した経緯をまとめました。

僕は、小学校はソフトボール、中学、高校は野球部に所属していました。

高校野球部時代

僕は、左投げで、身長もそこそこ高かったので

ピッチャーをやることになりました。
(左投げはピッチャーかファーストか外野手しか守れないため、自然とピッチャーになってました)

小学校のときから、投げ方がきれいで

周りの父兄や両親から
「陽平はプロ野球選手になれる」

と期待されていました。

僕自身も、その期待に応えたいと思い

中学や高校では、200球以上の投げ込みや、素振り1000回など

イチロー選手や野球漫画、アニメの真似をして

一生懸命練習をしてきました。

高校時代の挫折経験


しかし、高校時代に極度のスランプに陥り
予想もしない挫折経験をしました。

高校時代の羽根田

当時、原因は不明ですが

突然、自分の投げ方を見失い、
思うように投げられなくなってしまいました。

ボールをうまくリリースできず、地面に叩きつけてしまったり、

キャッチャーが捕れないような大暴投をしたりと

ストライクが投げられなくなってしまいました。

手が震えたり、ボールを握っている感覚がなくなり、力が入らなくなったり

当時、診断はされてませんが、
「イップス」の症状が出ていたと思います。

試合中になると、その症状はエスカレートして、
フォアボールの連続で、チームの足を引っ張ってました。

そのため本来、
対戦相手(バッター)に集中するべきなのに、
監督やコーチ、チームメイトの目線が気になり

「アイツは本当に使えないな」
と思われているのではと、
常に不安、焦り、恐怖との戦いでした。

何とかしたいと思い、投球フォームを変えたり、
部活以外の時間でもトレーニングをしたりと

自分なりに努力をしましたが、それに伴い

足の捻挫や腰痛などと、怪我をしやすくなり、
本当に辛かったです。

思うようにプレーができなかったため、野球が嫌いになり、
さらに家族に八つ当たりをしてしまうこともありました。

最終的に、高校最後の夏まで、
レギュラーになれず、補欠選手で終えました。

ものすごく後悔が残りましたが、
チームメイトや家族に本当に支えられ、

最後までやりきることができました。

本当に感謝しかありません。

挫折経験をきっかけにトレーナーを目指すことに


現在の羽根田(27歳)

前置きが長くなりましたが

最初はプロ野球選手を目指していた僕ですが
高校時代の挫折経験をきっかけに、

僕と同じように、極度のスランプやイップス、
パフォーマンスアップに悩む選手をサポートしたいと、思うようになりました。

一番はピッチャーに関わりたくて、
「イップスで悩む選手を無くしたい」という思いが強いですが

野球に関わらず、好きなスポーツを、
ずっと好きなままプレーし続けられるために、
サポートする

そんなトレーナーに僕はなりたいと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?