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人生のポートフォリオ

日経平均の下げ幅が過去最大の急落となったというニュース(2024/8/6日本経済新聞朝刊)を見て4451という数字は素数なのかなと思って調べてみたら案の定、素数だったので、なぜか嬉しくなった。

そもそも実体経済とかけ離れたマネーゲームに僕は何ら興味がない。
生き馬の目を抜くようにデイトレードで稼いだ利益も真夏の夢のごとく消えていく。バブルという表現も言い得て妙だな。

たしか以前、司馬遼太郎が何かの本で「アメリカではバブル経済のことを綿菓子(コットン・キャンディ)という」と書いていたような気がする。

綿菓子の甘さも口に含めると一瞬で消えてしまう儚いものだ。

タイトルに書いた「ポートフォリオ」とは、紙ばさみや書類入れという意味で用いられる イタリア語: portafoglio に語源を持つ。詳しく調べてみたら
porto+folioで「porto」には港を意味することから運ぶ(import,exportなど)ことを示し、「folio」には葉を意味しているという。

だから「紙類を持ち運ぶ」ということになるのか。
転じて現代ではポートフォリオというと金融商品の組合せ方を指す。

あえてタイトルに「人生の」という枕詞をつけたのは何を大切にして生きるのか選択する際に誰しもウェイトを置いていると思うからだ。

例えば、仕事、趣味、家庭生活、子育て、介護、生涯学習、交友関係など何に自分の時間とエネルギーを注ぐのか配分方法はその人の生き方を反映する。

先にあげたマネーゲームに血眼になるのも僕は否定しない。
ただ短期的に利鞘を稼ぐために数字に追われるような生き方はハードすぎるような印象を受ける。

僕自身は何に重きを置いているのだろう。
またかつては何を大切にしていたのだろう。

折に触れて考える。
付き合う人や自分の立場に応じて人生のポートフォリオは変化していく。
でもいつもベースになっているのは、自分だけが良くなることはないってこと。

なぜ自分がこの世界に存在しているのか考えると、それは誰かにとってのかけがえのない存在だから、その誰かの幸せのために生き続けている気がする。

そんなことを先日訪れた旭川市科学館サイパルにあった「10年後の街と自分へのメッセージを書く」展示ボードを見て考えた。

10年後へのメッセージ。扉のデザインが素敵。
10年後も誰かにファイト!と言える人でありたい。

今日も皆様にとって良い一日になりますように。
有限の組合せでも何を選ぶかは自分次第。
そしてその帰結は無限大。


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