何がモンスターを生み出すのか
僕のnoteでは過去にハラスメント問題について個人的見解を言及している。
あくまで僕の主観的な感想だから主張には偏りがあるかもしれない。
それでも「モンスターペアレント」、「モンスタークレーマー」、「モンスターカンパニー」など〇〇ハラスメントと共に新種のモンスターが日夜出現している現状を鑑みるとなぜモンスターは生まれてしまうのか、と考えてしまう。
その発生原因は様々であるが、思いつくままに考察してみよう。
①非言語的コミュニケーションの希薄化
SNSの発達によって面識のない人とも交流することができるようになった。
僕自身もnoteで様々な方からコメントや感想を頂きとても励みになっている。
その一方で、ネット・SNSの世界に浸かってしまうとリアルでの人間関係をおろそかにしてしまいがちになる。ネットでは自分の都合の良いときにメッセージを送ったり(常識の範囲内であれば)さほど相手に気を遣わなくてもよいものの、リアルの世界では相手の状況を考慮したうえでの言動が求められる。対面の場合、表情や言葉から相手の心境を想像し、それに合わせた応対をしなければ円滑なコミュニケーションは成立しない。
すなわちネット社会の日常化によって(非言語的)コミュニケーションの敷居は低下したことで他者への共感や配慮が弱まった可能性も考えられる。
②ロールモデルの不在
「尊敬する人は誰ですか?」という質問に対して「両親」や「家族」と答える人が多い。その答えを否定はしない。しかし僕は肯定もしない。
なぜなら自分の生き方の「軸」を親に据えるのは必ずしも良いことばかりではないと考えるからだ。その「尊敬する人は誰ですか?」という質問が就職面接でハウツー的に「身内」と回答し、面接官の琴線に触れるような理由を説明できればそれでオッケーという安直な回答の場合、結局真に尊敬する人など存在しないことになるからだ。
つまり面接官受けを狙わずとも、あるいは就職面接に限らず、ふいに「尊敬する人は誰ですか」と問われた際に自分のロールモデルとする人物を答えられなければ「お手本」なきまま他者の言説に流され、日々を送っていることになる。
そのようなロールモデル不在の生き方をしていると「何が善いことなのか」、「何をすべきなのか」という価値判断をおざなりにしてしまうと思われるのだ。
一人でいいから自分の尊敬する人を、お手本にしたい人を常に心に持ち続けたい。
③キャッチーな言葉の横行
これも①に関連しているが見出し文に耳目をひこうとキャッチーな言葉を目にする機会が多い。内容はともかく人の注目を浴びたい、という承認欲求が強まっているのもSNSが台頭してきたことによる影響であろう。
たとえ簡素なタイトルでも時間をかけて本当に自分が納得できる情報を探して精読してほしい。
また発信する側も自分の文章がどのような影響をもたらすのか投稿する前に想像してほしいと切望する。
そのためには②のロールモデルが必要であろう。
今日も皆様にとって良い一日になりますように。
一寸先は光であることを祈って。
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