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女の位相

タイトルから色々なことを連想するかもしれないが昨日の記事とは無縁だ。あとモーパッサンの「女の一生」をもじったわけではない。

ちなみに人文学における「位相」とは、

地域・性別・年齢・職業・階層や、書く場合と話す場合などによって、言葉の違いが起こる現象

という意味で使われるらしい。
よくわからないが…。

オンラインで開講される自啓共創塾という勉強会に先日から参加している。
ゲストスピーカーのある先生から渡辺京二「逝きし世の面影」を推薦図書として薦められたので即ポチ買いした。

今日のタイトルはその本の9章の章題である。
素敵でしょ(^_-)-☆

精読できていないけれど一部を引用する。

日本の女は必ずしも、欧米人の眼に造型的な意味で美しく映ったというのではなかった。ティリーは日本の女は厳密な意味で美しいのではなく、感じがいいのだと言っている。(中略)ヒューブナーによれば「正確に言えば、彼女たちはけっして美しくない。顔だちの端正さという点では、まだ申し分ないとは言えないのである。頬骨が少し張り出しすぎているし、美しい大きな茶色の目も少々切れ長すぎる。また厚ぼったい唇は繊細さに欠けているのだ」。「しかしこうしたことは何ら欠点とはならない」。なぜなら「彼女たちは陽気で、純朴にして淑やか、生まれつき気品にあふれている」からだ。
渡辺京二「逝きし世の面影」(p347-348)

近代、日本を訪れた異邦人が残した文献から在りし日の文化や生活様式について綴られた本書は一読の価値がある。

引用文は今なお世界でもてはやされている「Kawaii(かわいい)」文化の端緒のように思えた。

今日も皆様にとって、良い1日になりますように。

👆めんこい(^^♪

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