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人にやさしく

生きていると思い通りにいかないこと、ままならないことに出くわすことがある。

子どもの頃が楽しかったのは周りの大人たちが、ワガママな幼い自分たちのために色々と配慮してくれていたことに、大分後になってから気がついた。

最近、書店で「繊細さんへの○○」といったタイトルの本が平積みされているのを目にする。
「繊細さん」とは他人から見れば些細な言動に敏感だったりする人のことらしい。

僕も意外と根に持つタイプで皮肉や否定的な言葉を投げかけられるとしばらく反芻してしまう。ただ自分が「繊細さん」であるという自覚はなく、むしろ大雑把で興味の範囲がものすごく狭いので、興味のないことについては右から左へスルーしている(笑)

それでも小さな親切や、ささやかな人の優しさに触れると有り難い気持ちになる。

一人の人間として誰かに優しくしてあげたい。

それは何か見返りを求めたり、「日本人のおもてなし」とか、「〇〇県人は情があつい」からなど、カギ括弧つきで利他的に行動するのではない。

時折、仕事をしていく中で無私の思いやりに触れることがある。

入社したてでテーブルリフトの使い方が分からず、200㎏以上の重量物の荷受けに四苦八苦していた時、見かねた運送会社のドライバーさんがテーブルリフトの使い方を教えてくれ荷下ろしを手伝ってくれた。

おかげで今ではテーブルリフトもハンドフォークリフトも使いこなすことができるようになり、重量物も難なく荷受けできるようになった。

困っている人がいれば自然と手を差し伸べる。

そんなの当たり前ではないかと思うかもしれないが、とっさに行動できるのはやはり目の前の他者に対して関心をもたなければならないだろう。

いわゆる惻隠の情を意識するのである。

目の前で困っている人がいたら素直な心の声にしたがって、ためらうことなく手を差し伸べるようにしたい。

それが、自分のたましいを彩り、世の中が1ミリでも良くなることにつながると僕は信じている。

今日も皆様にとってよい一日でありますように。

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