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残心の哲学

失敗や失望に打ちのめされたプロスポーツ選手が、感情を吐き出すために自分の用具を壊すというシーンをテレビでよく見る。その情熱は賛美されることさえある。テニスの選手がラケットを壊したり、野球選手がバットを折ったり、ゴルファーがクラブを曲げたりする。一時的な感情の発散になるかもしれないが、武道家としてその行為は無礼としか思えない。用具を粗末に扱うことは、そのスポーツ、そしてアスリート自身への敬意が欠如している。さらに、若いアスリートに対して悪い見本となり、失敗や敗北に直面した時に感情を制御せずに表出することが許されると思わせてしまう。全く「残心」がない行為である。

稽古具に対する敬意の示し方の重要性は語り尽くせない。修行の延長線上であり、そうしないと修行できないのである。清潔に用具を保管し、丁寧に扱い、正しく使用することは、武道の伝統への敬意、そして安全面を考えると稽古相手への思いやりにもつながる。破損した用具は、重大な怪我をもたらす可能性がある。稽古道具を大切にすることで、安全に稽古できる環境を維持する手助けをしているのである。
(中略)
ある剣道の先生から、面を取るときには、汗ばんだ息切れの顔を人に見せないように、面を自分の顔の前に持ってくるようにと教えられた。そして、手ぬぐいで面の内側を最初に拭く。これは、稽古の間に守ってくれた面に感謝の意を示すためである。最後に、自分の顔の汗を拭き、面を置く。他のスポーツで、これほど用具に対して感謝が示されるケースをなかなか思いつかない。

アレキサンダー・ベネット「残心の哲学 第9回 残心と稽古 その①終始礼法を守る」(「月刊 武道」2023年9月号 VOL.681)p54

武道具にかぎらず仕事や日常生活で使用する物をぞんざいに扱っていないだろうか。
パソコン、スマートフォン、筆記用具、コーヒーカップ、リュックサック・・・。自分が使用する物に愛着を持つことは他者を思いやるための想像力を育む一助になると僕は考える。

僕はそれらのモノたちの所有者であるが、それらのモノたちが期待通りの適切な機能を発揮してくれるからスムーズに仕事をすることができる。それは当たり前のことではなく、その背景にはそれらのモノをデザインしたり、販売したりと無数の人々が関わっているおかげなのだ。

だから日用品の後ろに隠された目には見えない多くの人の働きに感謝しつつ大切に使用するべきだと思う。

今日も皆様にとってよい一日でありますように。

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