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「売上を上げる」=社会貢献すること

1.しばらく前のこと。
コインパーキングを精算しようと精算機に近づいたところ、見知らぬ70代男性が精算で詰まっていました。

「先に300円いれたんだけど…(区画番号入れる)」「あ、清算ボタン押して下さい。そうですかぁ、管理会社に電話してみます?」「いやそこまでは…この500円玉が落ちてきちゃう」「ありゃ、両替しましょうか。あ、清算できましたね」(所要時間 10分弱)

めでたく精算できたので、続けて自分の精算を始めたんですが、男性が戻って言った車から、奥様と思われる方が小走りでこちらに近づいてくるなり「暑い中ありがとうございました。ジュースでも飲まれてください。」と、200円押し付けられました。
大したことをしたつもりがないので2回断りましたが、3度目に「この方の感謝の表現を断るのも失礼か」と思い直してありがたくちょうだいしました。

この200円。「僕の行動に対してお二人が感じた価値(感謝)」と「奥様の所持金とのバランス」で奥様がある意味値付けして出てきたわけです。

2.売上高とは

買い手が値段を決めるケースはまれで、ほとんどの場合、売り手が値段をつけています。買い手がその値段に対して「売り物」の価値が見合わないと感じたり、自分の所持金から見たときに支払うには多すぎると感じたりすると購入をしないわけで、売上は立ちません。お客さんは自分がいらないものにお金は払いません。

逆に、売上高が上がっているのであれば、相手が売り物に価値を感じた&支払いができると感じたということ。

僕は売上高とは「顧客が感じた(期待した)価値を金額換算したもの」と定義しています。

ここでいう「価値」は品物やサービスの価値そのものだけではありません。
 ・この人から買うことで将来に布石を置こう。「お付き合い」の価値
 ・他と比べる手間なくとりあえず買っておく、「考えなくていい」価値
なども含んで考えています。
「いらないんだけど、先輩に声かけられたんでとりあえず買っちゃった。もったいないなぁ…どう処分しよう…」みたいなケースでは、先輩との関係性を「買った」ようなイメージです。

「企業の社会貢献(CSR)」という言葉が使われるようになって長いですが…上の考え方を適用すれば、そもそも我々が所属している社会の誰かが、喜ぶものでなければ、商品やサービスは売れませんし、買った人間に対する「適正価格」でなければ売れません。

売上高を上げるというのは、誰かを喜ばせた対価をいただくこと。
「売上高」を作るというのは立派で大事な社会貢献だと僕は考えています。

感謝のしるしとしての売上高200円を握ったとき、とても暖かく感じました。日常、お客様からいただく売上にも同じような暖かみを感じられるのか、それとも重荷に感じるのか…
胸を張って受け取れる仕事をしていきたいものです。

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