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【PODCAST書き起し】「吉田大八さん山口貴義さん和田尚久さん三浦知之の落語放談」全9回(その3)  映画と落語(1)

【PODCAST書き起し】「吉田大八さん山口貴義さん和田尚久さん三浦知之の落語放談」全9回(その3)  映画と落語(1)

【和田】でも、なんか今日ね、せっかくこういうあれだから、なんか映画と落語みたいな話を。

 

【三浦】ああ、映画と落語。映画と落語っていうと、まず王道でいくとあのあれですよね、こう何でしたっけ? 『幕末太陽傳』じゃないですか。

 

【和田】いや、なんか。

 

【三浦】そういう話じゃなくて?

 

【和田】落語ネタって意味じゃなくて。

 

【三浦】それじゃなくてね。

 

【和田】なんて言うんですかね、こう……まあいいや、だから全然違うもんだと思うんで、逆に落語がどう見えるのかとか。

 

【三浦】ああ。

 

【吉田】でもそれは、山口がずっと考え続けたうえの80年代は。

 

【和田】ねえ。

 

【吉田】映画を作りながら。

 

【三浦】映画を作りながら、落語とは。

 

【吉田】落語を聞きながら、自分のこの好きなものと、自分の作ってるものの距離みたいなものをずーっとこう考えながら、もう早40年なわけでしょ?

 

【山口】ね、何ら成果を生まないままで。

 

【吉田】いやいや、それでどうですか? 聞きたいでしょ?

 

【山口】いや、それはやっぱり芸能と芸術的な作品とは決定的に違うなっていう事が一番大きいでしょうね。

 

【吉田】もう1回言って。

 

【山口】芸能っていうのはやっぱ、生のものじゃないですか。

 

【吉田】はい。

 

【山口】ライブというか。それはやっぱり、人がこう、演じるっていうその場でしか成立しないもので、映画はもう作品なんで、出来上がったらもう動かない。ある種、作った人がもうかたちを決めて終わり。で、いつまでたっても変わらないものじゃないですか。ある種、死の芸術みたいな言い方されますけど、やっぱりそれが……。

 

【吉田】映画が?

 

【山口】うん、まあ、写真がね。

 

【吉田】ああそうか。

 

【山口】だからそういう生と死の対比みたいな、本当、水と油だと思いますよね。

 

【吉田】じゃあ、落語を聞けば聞くほどさ、その映画に対して向き合いにくくなるとか、そういう事ある?

 

【山口】いや、そんな事はないです。別物としてもうどっちも大好きですけど。

 

【吉田】その、あんまりもう映画、なんかさ、俺も一緒だけど、そんなにその、ここ最近話してても映画の話ってほとんどしないもんね。

 

【山口】映画観てないですからね。

 

【吉田】ね、だから、あんだけ映画観てた人が、やっぱりどちらかというと芸能のほうに完全に。昔は両立してたんだろうけど。

 

【三浦】それはやっぱり、こう割ける時間も限られているっていうのもありますか? だとしたらやっぱり芸能のほうに軸足が。

 

【山口】いやいや、うーんと、なんですかね。僕個人のは、その時その時のね、なんか面白いものを追っかけるたちなんで、浅はかなんですけど。韓国ドラマが面白いと思ったら韓国ドラマばっかり観ちゃうみたいな。

 

【吉田】今はじゃあ、あんまり映画が面白いと。

 

【山口】映画が本当にピンとこなくなっちゃってて、もう長いんですけど、本当。

 

【吉田】それは困ったもんですよね。

 

【山口】昔の映画は結構観ますけどね、今でも。

 

【三浦】今でも?

 

【山口】うん。

 

【三浦】それはDVDとか。

 

【山口】DVDとか、うん

 

【和田】なんか落語って、筋がね、ちゃんとした筋がないので、『死神』とかは別なんですけど、特例的に筋があるんだけど、特例っていうか例外的に。

 

【三浦】前、和田さんと話した時に『死神』とかちゃんともともと筋があるって。

 

【和田】そう、あれはね。

 

【三浦】話でしたよね。

 

【和田】そうです、そうです。

 

【山口】あれは劇の、だって落語化ですからね。元がしっかりした。

 

【三浦】粋な利用がある、脚本が師匠が持って来たやつだから。

 

【和田】あと、本当にたまによくできた話ってあるんだけど、あの、まあそうじゃないのが多いんですよ。で……でね、なんか筋のないとこが、ミソみたいな感じもするんです、落語っていうのは。

 

【山口】そうそうそうそう。

 

【和田】で、そん時に、例えば映画の側から見て、その、筋のなくても、成立しちゃうのはいいね、って思えるのか、やっぱ全然違うカルチャーだよねっていうふうに見えるのか、どうなんですか? それは。

 

【三浦】映画ってなんか、筋がない映画ってあるもんなんですか? なんかあったような気がするんですけど。

 

【吉田】あるんでしょ?

 

【山口】まあ、あるにはあるんでしょうけどね、落語的なものとは違うと思いますよね。落語的なものだと、破綻してるねって言われちゃうんじゃないですか? 

 

【吉田】僕ちょっと違うかもしれないですけど、なんか落語ってこう終わり方が……結構適当じゃないですか。

 

【和田】はいはいはいはい。

 

【吉田】あれがすごい好きになって、自分が脚本作ったりする時に、悪影響が出てるなって思ってたりなんかしてね。

 

【和田】ああ、なんか。

 

【吉田】なんか急に終わるね、とか。

 

【和田】はいはいはいはい。

 

【吉田】なんか最後なんでいきなりそんな急にたたむのって言われて、え、なんかこれ気持ちいいじゃないって思うのは……。

 

【山口】それ落語の影響?

 

【吉田】落語のせいじゃないか、と思う時がある。

 

【山口】オチはつけたりしないでしょ? 別に。

 

【吉田】オチ? オチはつけない。いやもう、でも落語って本当、つまり映画が例えば2時間とか、映画の尺って完全にその、ほん……なんていうの? なんかある、別に作品とは関係ところの要請じゃないですか。

 

【三浦】うん、時間っていうのは。

 

【吉田】だからもう2時間に収めないと興行が、とか。映画はね、自由に、自由だから、別に10時間の映画だってあるわけですけど、でも普段僕らがやっている時に、この話は10時間にしよう、10時間にしますって言ったらなかなか映画は作れないわけで、なんかやっぱり2時間の中でまとめようとする時に、本当だったらやっぱり、終わり、一番最後のね、ところにはこれくらい時間をかけてたっぷり、やっぱり最後の最後にはなんか例えばカメラがクレーンアップして終わるみたいな、そういうものをもし求めがちなんだったら、自分はだいぶそれから外れてきてるなっていう、割と終わった時に、やっぱ落語でこう気持ちいい時って、え? そこで終わんの? っていう時が気持ちいいですよね。

 

【三浦】結構あります。

 

【和田】そうです、そうです。

 

【吉田】あ、そこでか! もうなんか、あ、このなんか、このなんか断ち切られる感じが気持ちいいっていうのを、自分でもなんか……その自分の中の基準になっちゃってるふしはあって。

 

【三浦】サゲを知ってても、あ、やっぱここで終わるんだっていうのが気持ちいいっていうのがありますよね。

 

【吉田】ありますね。まあ、なんかこう、あ、今日はもう時間がないから無理やりここで終わってるなとか。

 

【三浦】あ、そういう時もありますよね。

 

【吉田】これからが面白いっていうのは、まあ講談でしょうけど、その、なんかああいうのも含めてなんか、なんていうのかな。別にいや、そんなのは尺っていうのは都合だから、話なんてどこで終わったっていいんだよっていう。

 

【三浦】落語って結構ね、やっぱり持ち時間があるから、結構時間に縛られてますよね。

 

【吉田】そうですね、ひとつの話でもね、あの、別に30分かけて……。

 

【三浦】伸縮自在に。

 

【吉田】10分でもできるってあの感じ、なんかかっこいいなって思いますね。なんかそのかっこよさをどっかでこう、求めちゃってる……かもしれないですね。っていう悪影響……悪影響って言ったら……。

 

【和田】なんか、いい落語っていうのは、もっと続きそうな雰囲気がしてるのにその手前で終わるんですよね。

 

【三浦】ほう。

 

【和田】うん。

 

【吉田】そうだね。

 

【和田】だからなんか終わり方がいい感じがするんですよね。

 

【山口】だからそのニュアンスは映画でも再現可能なんじゃないですか?

 

【三浦】あ、そうなんですか?

 

【山口】シナリオ的には。話しの持っていき方っていう。

 

【吉田】どういう事?

 

【山口】いや、分かんないけど。

 

【吉田】もっと先に話があるっていう事?

 

【山口】そうそうそう。話がこう、盛り上がりどこでちょっと物足りないとか、なんかちょっとかっこいいぐらいで。

 

【三浦】なんで、ここで終わるの? って。

 

【山口】スパッって切るっていうのは、その快感は。

 

【吉田】あるよね。

 

【山口】あるにはある。

 

【吉田】そういう映画はたぶんありますよ、だから。あの、だから、悪影響って言っちゃったけど、それでうまくいっている映画も、たぶんたくさんあって。自分の映画でも、まあ、自分はうまくいってると思ってやってるんだけど、なんとなく、最近そう、なんかラストが急だねって言われる事があるのは。

 

【三浦】それは観た人から?

 

【吉田】うん。

 

【三浦】完成したものを。

 

【吉田】うん、でも自分でもなんか言ってるかもしんない。あの、脚本作る時に。もう終わり方は。終わり方ってどこで終わったっていいじゃない、みたいな感じ。

 

【三浦】それは脚本に対しては当然いろいろと言う人いるわけですよね、プロデューサーか分かんないですけど。そういう時にも言われるんですか? 特に、これちょっと終わり方……どうなんでしょう?

 

【吉田】脚本でも……でもやっぱりプロデューサーなんか特に、短くなってもらう、短くしてもらうにこしたことはないって思ってるからね。

 

【三浦】プロデューサー都合で。

 

【吉田】でも、いや、どうだろう? そうでうすね、でも、うん、やっぱりうまくいってる、いってないは、自分の事はなかなか判断できないけど、うーんそうですね、やっぱり、でも、なんかあると思いますよ。だから、あのラストはすごい落語っぽいな、みたいな。

 

【山口】落語っぽいっていうのとはまた、映画だからちょっと違うかもしれないですけど、あれは、あの川島雄三の『女は二度生まれる』だっけ?

 

【吉田】どんなラストですか?

 

【山口】バス停で若尾文子が待ってるところで終わるやつ。あれタイトル違ったかな?

 

【三浦】川島……。

 

【山口】全然、話の途中みたいなところで。まあ、そのさっき出た『幕末太陽傳』の監督ですけど、まあ、あれは本当に話の、え? ここで終わるの? かっこいいって愕然とする。

 

【吉田】そうそう、かっこいいってあるよね。

 

【山口】あるある。切り方でね。ここ意外な終わり方……要するにセンスだと思うんですけど、それは演出の、なんていうの? テンポというかね、落語も最後たたみかけてスパッと終わるのと一緒で、そういう時はやっぱり映画もやっぱり同じで、テンポアップして、盛り上がるかなと思ったら切られて、ああーってなるっていう。

 

【三浦】あれ? みたいな感じですか?

 

【山口】のは、ありますよね。

 

【吉田】なんか音楽がこうバアーって鳴って、カメラがうわーって上がって、なんか登場人物が、主人公が奥に向かって歩いて行くみたいな、そういう終わり方とは違う……なんかだからそういう終わり方って割とこう人情話に多いような。

 

【和田】そうですね。

 

【山口】なるほど、なるほど。

 

【吉田】で、割とだからさっきのちょっと古今亭の話じゃないけど……。

 

【三浦】唐十郎の芝居もそういうとこありますよね。

 

【吉田】なんかこう、なんか世界を広げないで終わるというか、本当、あるところでスパーンと切った方が余韻とか、その先に何か、まだ何かが続いてるのに、もう、もう見せない……ちょっと、だからさっき古今亭の話してる時、残酷って言い方も出てたけど、そういうその人生とか物語に対するその、なんかこう、そういうちょっとドライな。

 

【三浦】割り切り方。

 

【吉田】視点というか。

 

【山口】それはあれでしょ、成瀬(巳喜男)の『乱れる』でしょ。

 

【吉田】どんなラスト?

 

【三浦】成瀬の。

 

【山口】高峰秀子が、山形の銀山温泉で、バアーっと走ってって、アップでスパンと走ってる途中のアップでバーンと切れるやつ。

 

【吉田】全然覚えてないですけど。

 

【山口】めちゃくちゃかっこいいですよ。

 

【吉田】そういう、それですよ。

 

【山口】メロドラマのなんか、お手本みたいな。

 

【三浦】サカタくん、そうですか?

 

【サカタ】成瀬さんって、そうスパッと終わるのが……。

 

【吉田】ああ、なるほどね。でもあの頃ね、やっぱり、日本映画ってやっぱり、なんか落語とね、距離が今の、今の、今よりは絶対距離近かったかな。

 

【三浦】距離近かったですね、そりゃそうですね。

 

【山口】いや、まあまあ成瀬も川島も、落語相当聞いていたの間違いないっていうか。あの時代の人は……。

 

【吉田】落語好きに薦められる日本映画っていうお題でちょっと。

 

【三浦】あ、いいですね、落語好きに……。

 

【山口】むちゃぶり、むちゃぶりだなあ。

 

【吉田】これはじゃあ、休憩のあとにじゃあ。

 

【和田】あげてもらう、

 

【三浦】一回じゃあ。

 

 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/

担当:木村 晴美

いつもご依頼いただき、ありがとうございました。今回、映画の「終わり方」について話されているのを聞いて、そこまで意識して映画を観る時に考えた事がなかったなと思いました。ラストに結果が出て、明らかにハッピーエンドで終わるというのはよかった、と思ってそこで自分の気持ちも安心して終わります。そういえば、この先どうなるんだろう?というところで終わったり、もやもやするまま終わったり、「終わり」にも作品を作る方の意図がなにか込められているものがあるんだろうと改めて思いました。

映画、特に邦画を観るのが好きなので、これから観ていくもの、または昔観たものを見返す時に、「終わり方」を気にしてみようかと思えました。落語については、語れるほど触れていませんが、もっと続きそうなところで終わる、という感覚を感じてみたくなりました。お話の中に、『死神』の落語が出てきましたが、ミュージシャンの米津玄師さんが楽曲にしていたので、気になっていました。落語、聞いてみます。

今回も楽しい、そして気づきをいただけたお話、ありがとうございました。

 

 

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