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『平等』について夫の視点と組織の代表として感じたこと〜Let you in the Room〜

皆さんこんにちは。Brain Active withの黒川公晴です。

最近完全に料理にハマる僕ですが、ここにも「Let you in the Room」*のヒントを見つけたので、ちょっと記事にしてみます(決して料理アピールではありません)。

※私たちBAwは、「Let You in the Room」というミッションを掲げてます。
あなた自身がここいてくれるだけでいい。ありのままの可能性を発揮してくれるだけでいい」そんな意味です。
これを一人ひとりが感じられる時、前向きな行動変容や想像以上の成果が生まれていく。そんなチームを何度も見てきました。
これは組織の「場」づくりやファシリテーションだけではなく、家庭、友人関係等あらゆる場面で、本来私たちが実現し得る世界です。

最近週末になると凝った料理をしたがる私。
この日もクリスマスディナーということで、前菜〜メインの肉料理まで、全て手作りで準備する素敵なパパ役に一役買ったわけです(決して料理アピールではありません)。

上述の通り、私は凝るタイプなので、クリスマスディナーともなると数時間は準備に要します。

我が家のキッチンはリビングを見渡す位置にあり、ソファでゆっくり寝転びながらスマホをひたすらいじる妻を横目に、じっくり料理に取り組むことができます。

ここで「ん?」となります。

いや正確にいうとそんなにわかりやすい「ん?」ではなく、自分の心のどこかに、微かな違和感を感じる程度なのですが、その聞こえるとも聞こえないとも言える声をわかりやすく拡張すると、

「いやソファで寝てスマホいじるんかい!!」

です。

そしてこれは単なる関西人のツッコミではなく、
その裏にはとても重要な僕の思い込みが隠れています。つまり、

「いやソファで寝てスマホいじるんかい!!」

「もっと他にやることあるやろがい」

「こっちはこんな大変な準備してるのに」

「他の家事とか掃除とか、自分の仕事に充てれるんちゃうんかい」

です。

実際に妻が興じていたのは、
スマホニュースの閲覧や、年末にむけた友達との他愛もない会話でした(そしてそのあと実際山ほどの家事をしてくださる)。
でもこの最初の僕の認識のズレがとっても大事。

僕は普段の自分の強烈な行動パターンに気づきます。

行動パターンその1
“家事って大変。だからできるだけ自分がしなくて良い理由を見つけよう”
→だから家事は妻に任せて自分は仕事頑張る。
行動パターンその2
“家事って大変。だから相手側はそれに見合う労働をしなきゃいけない”
→妻が家事をしてくれている、だから自分は仕事頑張る
→“自分は仕事頑張ってるんだから家事は相手がやってくれるだろう”

この、自分の中の恐ろしい「ディール(=取引)」意識に気づくわけです。

私はこれをやる、だからあなたはこれをやって。
家事と家事を等量で。
家事と仕事を等量で。
仕事と仕事を等量で。

こんな風に、私たちの無意識は役務と便益で行動を評価し、互いに見合う価値のバランスを見出し、同意されているわけでもないのに、それが壊れると「不平等だ」「コミットメントがない」と不満を募らせる。

例えばジェンダー問題でいうと、
今社会で言われている「女性の社会進出」や「イクメン」という概念もそんな気がするのです。

男性が家事を手伝ったら、「その分」女性が社会進出できるでしょ。
仕事も頑張れるでしょ。

いやしかし夫が家事を手伝うからと言って、妻がその分「仕事」や「その他の役務進出」を頑張らなきゃいけない理由はどこにもないわけです。同意している人もいればしてない人もいるのです。

ソファで鼻くそほじりながら(妻は鼻くそほじりませんが)、昔の友人のfacebook投稿をたまたま目にしたっていい。

普段は家事と育児で目を回しながらそんなこと気にも留めないけど、今日はたまたま見ちゃったので連絡をしてみると、今奇跡的に近くに住んでいることがわかり、今後会おうと約束をする。いざ会ってみると自分の興味ど真ん中で会社を起こしていることがわかり、「何か一緒にやってみようよ」とコーヒー片手に話が盛り上がる。

僕が少しの家事をするだけで、そんな豊かな時間が妻に訪れる可能性だってある。

だから、「夫が家事分担してるんだからあなたはあれやれ、これやれ」は、極めてナンセンスです。その時間を完全に、100%自由に使えることこそに意味がある。鼻くそほじってリラックスしたけりゃすればいい。

僕たちは自分で認めたくないけど、例えば心でこんな声を発していないか:

“自分は仕事なんだから家事やってもらって当然。だって役割分担だから。”
“自分は家事手伝ってるんだから、家計を手伝うために稼いでね。“
“家事をうまくパートナーと分担して皆さん(女性)も社会進出しましょう。”

直裁的に書くとかなりきついけど、ひとかけらも心にないか?
「本当感謝してるよ〜」とか「ぜひ頑張ってね〜」とかいう言葉で飾りながら押し付ける無自覚のプレッシャーを与えていないか?

平等をうたう役務と期待の押し付けは、あまり平等ではない。
少なくとも、「Let you in the Room」ではない。

何してようが、相手が心の底から楽しんだり自分の可能性を存分に生きられているなら、別にいいじゃん。これが「Let You in the Room」。

かくして僕はこれから自分が料理や家事をしているときに、妻がどんな自分の道楽を楽しんでいようと、そこに文句をいうのはやめようと誓ったのです。

誓いは簡単に破られることが常なのですが、少なくとも、
「普段自分は彼女のどんな時間を奪い去っているかもしれない」ということに対して、常に自覚的にありたいと強烈に願うのです。

それが、家庭の、社会のLet you in the Roomにつながっていく気がする。
ゆっくりだけどね。

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