考え事#44 フレームと自由⑤自由の教材
フレームと自由の関係性についての文章を書き始めて5日目になった。
今回がおそらく最終回になるだろう。
おさらいと補足:
アンフレーミングとリフレーミング・アンラーニング
前回、アンフレーミングという言葉を用いながら、教育の過程で一時的に必要となったフレームをどう外していくか、という話を書いた。
アンフレーミングは僕が勝手に言い始めた造語である。ありがたいことに知人から、アンラーニングやリフレーミングとどう違うのか?とフィードバックをいただいた。
アンラーニングやリフレーミングは、フレームを外す主体がフレームを課された本人である場合の言葉であると僕は認識している。
これに対してアンフレーミングは、フレームを課した教育者や、相手に課されたフレームを観測した教育者が、そのフレームを外側から外すということに、アンラーニングやリフレーミングを拡張したものだと捉えている。
アンラーニングやリフレーミングは上述の通り、自己研鑽や自己啓発的な色が出る。いわゆる自己責任という状況だ。これをきちんと教育としてどう取り入れるのか、という議論がしたいという話で、すでにどこかにそういう理論があれば似たような話になっているかもしれない。
フレームへのメタ的対処法→マクロ系
さて、前回最後に、アンフレーミングはフレームというものに対するミクロな視点での対処法であると述べた。
今回は、フレームをよりメタ的に捉えて、そもそもフレームという認知システムを教育者としてどう克服させるか、について書きたい。フレームという認知システムにより人は自由の恩恵を十分に享受できていないのではないか?という問いへの答に当たる内容だ。
フレームにより自由は直接的に制限される。そして、フレーム環境への順応(学習性無力感)によりフレームが無い世界でも自由な振舞い方が分からなくなる。
そんな生徒達が目の前に現れたとき、どうやったら自由へ向かう姿勢を取り戻してもらえるだろうか。
ちなみに、守破離という古来からの考え方がある。これもフレームというシステムへの打開策を示した考え方だが、守破離はそもそも学習環境の前提が現代と大きく異なる。守破離は基本的に子弟制の教育におけるフレームの捉え方だ。子弟制の教育は学校のように数年で済むものではなく、10年20年とか、半生とかそういう単位で同じ師匠から学ぶ際の理論だと僕は認識している。今回述べる内容は、この守破離の経験を短期間で達成するための方法、と言ってもいいかもしれない。
ハリボテフレームによる弾圧
その解が、ハリボテフレームによる弾圧だ。
本来その場で求められるような旧態依然のフレームに生徒がすっかり馴染んでしまっている場合、それをさらに狭めたフレームでまずは生徒を弾圧してみよう。という話だ。
自由とは相対的な概念である。
馴染んでいるフレームよりも狭いフレームを課された人間はどうなるか?
当然反発が起こるだろう。
この反発こそが自由の感触である。身体を例に考えてみよう。
というルールを急に課されたら、相当な不自由と不快感を感じるだろう。初めの数分は我慢できるかもしれないが、時間が経つにつれて「動きたい」「水を飲みに行きたい」「時間が潰せる娯楽が欲しい」など、色々な欲求が襲ってくるはずだ。
その中で、腕をめいっぱい広げたい。という欲求が出てきたとする。
腕を広げようとしてみる人も出てくるだろう。
そして、本当に我慢できない状況になったら、一見動きそうにない箱の中の壁に手を当てて、その箱を破壊しようと試みるはずだ。
このときに破壊しようとする箱の強度こそ、「自由をどう学習するか」の全てを決める要素だ。
箱が壊れないなら、学習性無力感に陥ってしまう。
でも、箱が簡単に壊れてしまったとしたら?
きっと箱の外に出て思い切り腕を拡げて考えるだろう。
あっちに見える壁も簡単に壊せるのではないか?この世界の箱や壁は、叩けば簡単に崩れるのではないか?
これが、自由を享受するための姿勢を与えるための手段だ。
自由の教材
フレームは、本来自由を制限するための仕組みである。
しかし、人類史はいつだってその時の当たり前のフレームを破壊する人が動かしてきた。
フレームが破壊された後の社会に生まれると、生まれた瞬間から「過去の偉人が拡げてくれた、より広いフレーム」の中で育つことになる。幸か不幸か、その状況は「フレームを破壊する」経験が著しく難しい状況を作っていく。
相手の自由を顕在化させたいのであれば、「壊しても全く問題のない小さめのフレーム」を教材として準備して、「フレームを内側から破壊するワーク」を通して、フレームの壊し方を学習させればよい。自由とは、自由を獲得する経験によって初めて顕在化するものであるはずだ。
フレームが自由の教材になるなんて、なんてアイロニーに富んだ話だろう。
反転授業のために一斉授業を経由する授業デザインを取り入れた2022年、僕はこのことに気付いて本当に痛快だった。
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