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考え事#43 フレームと自由④アンフレーミング

ここまで3つの記事にわたって、フレームと自由について述べてきた。

ざっくり要約するとこんな感じだ。

自由はフレームによって制限され、その状況が慢性化することで人の自由は潜在化する。そもそも、教育とはフレームによる人の成長の矯正である。ほとんどのフレームは成長過程で一時的に必要と思われるものだ。それにも関わらず、アンフレーミング(枠を外す)まで指導しないままの教育が行われているのではないか。

1つ目の記事はこちら。続けて次の記事をたどっていただくとここに戻ってくることができるので、よろしければお付き合いください。

ここまで述べてきた"フレーム"を、どう扱っていけば自由というものに近付くことができるのか、について今回はまとめていきたい。


アンフレーミング

 前回記事でも何度かアンフレーミングという言葉を用いてみたが、個々のフレームに対しては不要になったフレームの取り外し、つまりアンフレーミングというものを実践することで、固定化された行動原理から自由になることができるだろう。

アンフレーミングは実施主体によってその手法が異なってくると考える。

・フレームを課した者によるアンフレーミング
 =フレームの種明かし

 あなたが教育者として誰かにフレームを課した場合、単純に相手に対して種明かしをすれば良いと言えるだろう。実はあの時に教えた○○は、××を効率的に達成するためのものだったので、成長したいまの君には必要のないものだね。たった一言これを伝えるだけで、その先相手がそのフレームを使うか使わないかは相手の課題となるだろう。

 この方法は複利的な効果を簡単に生むことも期待される。相手が成長してまた誰かに何かを教える際に、種明かしまで含めて教育活動をデザインしてくれる確率が高くなりそうだ。

・フレームを課した者以外の他者によるアンフレーミング
 ≃フレームのフィードバック

 あなたが教育者として接する相手が既に何かしらのフレームに従った行動原理を持っている場合、フレームの種明かしよりは注意を払いながらアンフレーミングに取組む必要がある。この理由は前回記事でも述べた通りである。

例えば子供があなたを非常に信頼している場合、あらたな環境における教育者がそのフレームを雑に扱うと、子供とその教育者は闘争状態に陥ってしまうことがある。

考え事#42 フレームと自由③フレームの分類|physの考え事 (note.com)より

何で○○みたいな非効率的な方法をやっているの?
□□の方法に変えた方が良いよ。

 みたいなニュアンスが相手に伝わってしまうと、この相手にあなたの言葉は入っていかなくなるだろう。
そもそもフレームが残っているということは、相手にとってそのフレームを用いた何かしらの成功体験が存在するということだ。フレームをいきなり否定するのではなく、まずはそのフレームが存在するに至ったナラティブを聞いて、共感するところから始めないといけない。

 そのうえで、「きっとその方法は××を達成するために最適化された方法だったんだね。そして見事にそれを成し遂げて君はここにいるんだね。」のような会話が必要だろう。

 アンフレーミングはフレームを課した人か、フレームを受け取った本人にしか達成できないものだと言ってしまっても良いのではなかろうか。第三者にできることは、そのフレームの限界に気付いてもらうための仕掛けを作ることだろう。この辺りは、教育者自身のパーソナリティやその場の構造によってさまざまな手法がありそうだ。完全な縦社会的な、権力構造の文化であれば、「今すぐに新しい方法を取らせる」というプロセスも成立するだろうが、例えば学校なんかはこの辺の力学は近年崩壊しているので、時間をかけて伝えていくしかないだろう。

・フレームを受け取った私によるアンフレーミング
 =自己の客観視+アンラーニング

 自分が過去に受け取ったフレームを外していくためには、2段階の面倒な手続きが必要となる。まず、自分自身では自分のフレームを認知できない状態から始まるため、自分のフレームを認識するためにメタ認知やパラ認知*の訓練をするしかない。

*パラ認知とか、この辺の話は以下の記事に長々と書いてあるので良かったらお読みください。

 自分のフレームを見つけるのは途方もない取組みとなる場合もあるが、とにかく自分の深堀り、自分の壁打ちをすることだ。自分の行動原理を書き出して、1つ1つに「なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?」と問いかけていけば良い。自分一人だと途中で嫌になるので、誰かに付き合ってもらうのも良いかもしれない。ただし、自分の行動原理を他者に「なぜ?」と繰り返し聞かれるのはなかなか苛々してしまう経験になるだろうから、相手は慎重に選ぶとよいだろう。Chat-GPTも壁打ち相手としては有用である。

↑見出しは英語の文章(引用)から始まっているが、日本語で読めます。

自分のフレームが見つかったら次のステップである。
「元のフレームに変わるフレームを仮設して、自分で自分に課す」というのを実施する。これはしっくりくるフレームが見つかるまで何度繰り返しても良いだろう。

そのうち、元のフレームが不思議とどうでもよくなる時が来るはずだ。
こうして自分自身でのアンフレーミングが達成される。

アンフレーミング→ミクロ系

始めに書いた通り、アンフレーミングは個々のフレームへの対応策である。
これはつまり、ミクロ系の方法論ということになる。
これに対して、例えば守破離という言葉のように、フレームというシステム自体をマクロに捉え、克服させる手法はないものか。次はこの点に触れたい。

・・・
追記
 こうやって、ミクロとかマクロという概念を引っ張り出すあたり、僕自身は物理系の考え方フレームに対しては、アンフレーミングが難しいようだ。


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