見出し画像

考え事#23 教師という職業について

こんばんは。
先日Twitterでは発信させていただきましたが、この2023年3月31日をもって、10年間働いてきた公立高校での教員を辞めることになりました。

次のお仕事は土日が勤務日のため、気持ちの切り替えのために最後の3日間はお休みをいただき、気持ちの切り替えのために人生初のデジタルデトックスをしようと思っています。

本当はじっくり考えて書きたい内容ではあるのですが、とにかく今の心境をアウトプットしておこうと思い、書き始めました。なのでやや支離滅裂な文章となりますが、お付き合いいただければ幸いです。この先の本文は、文体が変わります。


なぜ、辞めるのか。

まず、自分がなぜ公立高校の先生を辞めるのか、について書かないといけない。のだが、正直なところ、膨大な数の理由があって言語化できない。
離任式などの挨拶では、「挑戦するため」という前向きな理由を語ってきた。それも嘘ではないけれど、実際にはただそれだけではない。ちゃんと吐き出すには時間がかかると思ったし、それをオフィシャルな場で吐き出すのは違うと思ったから言えなかったことが沢山ある。

この膨大な数の理由を簡単に表すと、「違和感と直感」だ。
どちらもなんともフワッとした表現だが、これが今の自分にとってはしっくりくる。

多分、実際に職場で僕のことを知っている同僚の先生、生徒達がこの先を読むと、嫌な気持ちになる人もいるんだろうと思う。ただ、きっとこの記事にわざわざアクセスして読んでくれる人はそんなことは気にしない人だと思うのでこのまま書いてしまう。

違和感

10年間働いてきて、いくつもの違和感を感じた。
高校生だった頃の自分が感じてきたものと、結局同じ違和感。
学校っていう場は、非合理的な価値観で動いてしまうことが多すぎるのだけれど、そこにも色々な事情があって、あー、なるほど。だからこうなのか。と思いながら日々を過ごしてきた。その多くは基本的には、多忙感が原因だと僕は結論付けている。

先生たちが忙しすぎるから、1人1人の生徒の個性や特性に最大限寄り添うことが難しい。

授業一つを取っても、一斉授業で騒ぐ生徒は邪魔者と認識せざるを得ない。
だから、面白い授業を。きちんとした規律を形成する指導力を。みんなで右へ倣えの環境をいかに構築するかに初めの頃は邁進した。

それが、コロナ禍で反転授業を始めて完全に覆った。

一斉授業だったら絶対に授業の邪魔者扱いになるような生徒と対話を重ねることで、彼が彼女がいま何を考えていて、何に困っているのかを知った。自分が今まで実施してきた一斉授業がいかに暴力的なシステムだったのか理解することができた。

その瞬間、授業以外のすべての違和感の正体に気付いてしまった。
それは、システムエラーだ、と思った。

先生一人ひとりの良し悪しを越えた、学校というシステムそのものにエラーが起きているということが分かった。

もちろん例外的にまずい指導をする先生というのは一定数いるのだと思うが(もしかしたら、生徒の誰かにとっては僕もそうだったのかもしれない・・・)、基本的に教師という立場に身を置く人は、子供たちの成長に寄与したいからその立場にいる訳で、それぞれの先生にそれぞれの個性があって、その個性に必ず誰かしらの生徒は救われるものだ。
そういう側面を、本来的には教師も生徒も「学校」という場に求めているはずだ。だから、こんなに学校を取りまく環境が苦しくなるなんていうのはおかしい。先生の能力がどうのこうの、って意見もたまに見るけれど、そもそもこの仕事で最も大事にすべき能力は生徒1人ひとりと向き合う能力のスペックであり、間違ってもYouTubeに授業動画をアップロードする能力ではない。生徒が帰った後の学校でPCやシステムの設定をする能力でもない。

僕はコンピュータやシステムをいじるのは好きだったし、周囲の先生からも重宝していただいていたと感じる。
でも、だからこそ僕がこの仕事を続けていくと、結局このシステムエラー状態を維持する勢力になってしまうのではないか?
そう考えるとゾッとした。

生徒のために、学校のために、良かれと思って深夜まで教材を作ったり、死ぬ気で色々考えて頑張ってきたことが、結局「なんだかんだ現状の公立高校でもできる先生いるじゃん」という材料を作っていることになるのであれば、それはかなりまずい事態(=持続可能性が皆無)を呼ぶことになる。

では、頑張るのをやめればいいのか?

頑張るのを辞めた人から何かを教わりたい高校生は存在するのか?

この2年くらいは、ずっとこのあたりをぐるぐる考えていた。
そして、その中であるとき、直感が芽生えた。

直感

いずれにしても、
この自己矛盾を抱えたまま自分が教師を続けた場合、確実に老害になると思った。自分はシステムの被害者だ。だから仕方がない。自分は悪くない。
と、言い聞かせて威張り散らしている50代、20年後の自分を想像してしまった。吐き気がした。

そんな自分になるくらいだったら、安定した現状を飛び出して、挑戦し続ける自分でいたいと思った。人の成長に関わる仕事をきちんと続けるとしたら、それが自分の中では譲れない条件だと思った。

自我の死と、これまでの感謝

自己と自我の話は、どこかの記事で書いたことがあると思う。
田原真人さんの本からの引用だ。僕の言葉で表現してみた記事に本のリンクも貼ってあるので良かったらお読みいただきたい。

何はともあれ、僕はこの10年、学校という場を効率よく回すための歯車として、自分を追い込んで頑張ってきた。

それはつまり、教師としての自我を最大限に成長させてきたということだ。

その意味で、退職するというのは自我の死を意味する。
明日から、昨日までの自分には文字通り、もう会うことができない。

田原さんの文脈では、自己の蓋となるのが自我だ。
確かに、苦しいものではある。みんな、何かを我慢して何かの歯車としての自我を鍛えながら生きている訳だ。

僕にとって、
公立高校の教師、という自我は、確かにたまに苦しいときはあったけれど、とても幸せで、とても楽しい日々だった。
10年間で関わらせてもらった生徒達との時間が大好きだった。
部活の指導も、教材研究も、授業も、文化祭も、担任としての仕事も、放課後に聞いた生徒の愚痴も、先生たちとの飲み会も、学校のパンフレットを作るのも、YouTubeでの学校の情報発信も、成績処理も、高体連の仕事も、修学旅行の寝不足も、
何もかも、最高に楽しかった。

ここまで高校の先生としての僕と関わってくださったすべての方に、感謝いたします。
4月からも、自分なりに今まで以上の挑戦を続けます。
引き続き応援していただけたら嬉しいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?