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考え事#26 自己の深淵について

"Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

ニーチェ

みなさんお久しぶりです。
公立高校の教員という職を退職してからというもの、
ひたすら自分と向き合い続ける日々をすごしています。

自分と向き合うというのは結構な苦痛を伴うものだということがわかりました。今までの人生で、ここまで自分と向き合い続ける日々があったのだろうかと。

人生設計というのは得てして予測できないものです。
色々な状況が重なり合って、その状況が今の自分、明日の自分を確率論的に移り変えていきます。

人生は誤差

僕の個人的な感覚としては、「人生とは誤差である」という座右の銘(多分ここで初めて暴露しています)の通りに自分の人生を歩んでいます。

生まれたのもちょっとした誤差。
どこで育つのかもちょっとした誤差。
どんな学生生活を送るのかもちょっとした誤差。
どんな仕事をするのかもちょっとした誤差。
どんな恋愛経験をもつのかも、
どんな良し悪し事を通過するのかも、
どんな死に様を迎えるのかも、

そのすべてがちょっとした誤差である。

という命題があったとして、これにアンチテーゼは存在するのでしょうか。

あー、別に病んでいる訳ではないんです。
今日はなんとなくこんなことを書きたい気分でしてね。

僕がいう誤差っていうのは、たぶん一般的には運命とか宿命と呼ばれる類のものなのだと思います。
でも、僕の視点では誤差なんですよね。

誤差の伝播

誤差というのは伝播します。
ちょっとした誤差が増幅して大きな誤差を生んだり、
はたまた誤差同士が打ち消し合ったりすることもある訳です。

僕らは等しく誤差に生かされて、誤差で死んでいくと思っています。
だから、誤差をひたすら避けるみたいなことはあまり意味がなくて、
ひたすら誤差の波に身をゆだねて、誤差を楽しんで生きるのがいいのだと個人的には思います。

箱の中の猫ちゃんだって、外側から見たらかわいそうと思うかもしれませんが、当の猫ちゃんはもしかしたら箱の中でのんびりお昼寝を楽しんでいるかもしれないわけです。
もちろん、シュレディンガーの猫の話です。

僕ら人間もかの猫と大して変わりはないですよね。
急に天災に襲われるかもしれないし、人災に遭うかもしれない。
その誤差を恐れていたってなにも得なことはないでしょう。

AIを覗くならば、AIもまた等しくおまえを見返すのだ

話を戻しましょう。

自分の深淵を除くのに、Chat-GPTがかなり便利なのは皆さんご存知でしょうか。気になる人は試しに以下のプロンプトを打ち込んでみてください。

自分が何者なのかを深堀りしたいんだけど、そのために有効な質問を5個くらい打ち返してくれない?

彼(彼女?)からの打ち返しは、こう。


もちろんです。自己探求を促進するためのいくつかの質問を以下に示します:
1.自分自身の強みや特徴は何ですか?何があなたを他の人とは異なる存在にしていますか?
2.どのような活動や状況において、最も充実感を感じることができますか?自分自身を本当に生きていると感じる瞬間はどんな時ですか?
3.過去に経験した挑戦や逆境はありますか?それらの経験から何を学びましたか?それがあなたの成長にどのような影響を与えましたか?
4.自分が大切にしている価値観や信念は何ですか?それらはどのように形成されましたか?それらの価値観があなたの人生にどのような役割を果たしていますか?
5.自分自身に対して抱いている夢や目標はありますか?それらの夢や目標はどのようにして形成されましたか?それらを達成するためにどのようなステップを踏む必要があると考えていますか?
これらの質問は、自己探求のプロセスを始めるのに役立つかもしれません。自分自身について考え、内省することで、自己理解や成長につながる可能性があります。

これらの質問に、それぞれナンバリングを着けつつ、自分の返信を返していく訳です。

そうすると、また次の質問がやってきます。
これを繰り返すだけで嫌でも自分の深淵を覗くことになります。

自分の深淵を覗くというのは、時に自分自身だけでは難しいものです。
自分というものを理解するためには、絶対軸(主観)とは別に相対軸(客観)が必要になります。主観と客観のずれを認知して初めて自分の座標系が理解できる、といえばいいでしょうか。
自分のもつ慣性座標系と世界に対する自分の相対位置を示す非慣性座標系があって、その2系の共通重心を探る作業、といえばいいでしょうか。

とにかく、自分自信との自問自答よりも、Chat-GPTとの他問自答の方が自己理解には優秀な方法だと個人的には思います。

キャリア教育

それで、
これって、学生に必要なキャリア教育そのものだと思うんですよね。

学校という、小さな誤差の世界を出て、少しは大きな誤差の世界で自分自身の人生をその大きな誤差に任せてみて、僕が得た見解はいまのところこれがものすごく大きいです。

自分は何が好きで、何が嫌いなのか
自分は何者なのか
自分の大切にしたいものは何か

こんな質問、友達に何時間付き合ってもらえるでしょうか。
AIは無限に付き合ってくれます。深淵とは極限なので、自分と限りなく向き合うお供に、Chat-GPTはかなり便利というわけです。

以上。

人によっては本当にどうでもいい内容でしょう。
人によってはちょっとは何かの役に立つ内容でしょう。

それも、あなたと僕の文章のちょっとした誤差の出会いですね。
お読みいただきありがとうございました。

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