#03 社会人までのオレのこと

今回は読んでくださる方にオレの事を知ってもらっておいた方がいいかなと思って、双極性障害になる前のオレの人生に軽く触れておきます。
(なかなか本題に入れなくてごめんなさいw)


東京時代のオレ

今は大阪にすんでおりますが、生まれてから小6までは東京の池袋に近い雑司ヶ谷という下町に住んでおりました。
雑司ヶ谷霊園というでっかい墓地や鬼子母神という鬼を祀った神社がある少し不気味な町ですw
御会式という太鼓を叩き、マトイを振る伝統的なお祭りがあることも知られています(テクノなどのダンスミュージックが好きなのはこれが由来かと思います)。

キリスト教の協会が運営している幼稚園に通い、低学年の頃に多少いじめられたことはあるようですが、特にトラウマにもなっていない程度。小5の時は小学校にあった金管バンドに所属してチューバを吹いていました。
友達も普通にいたと思うし、まぁ普通の小学生として成長しました。

大阪に引っ越したオレ

小6に上がるタイミングで父親の転勤により大阪へ。東京の友達と離れたくなくて、親にごねた記憶があります。
大阪で住んだのは茨木市という町。茨木童子というコレまた鬼が有名で、市のマスコットにもなっている町です。
(鬼との因縁wに話については別途文章にまとめたいと思っています。)

ごねたけど住めば都で大阪でも友達が出来て楽しい小学校生活だったように思います。
そして順当に中学生、高校生と成長します。
中学は帰宅部、高校は柔道部。
中学生の時にはじめてのCDとして、電気グルーヴのアルバムを買い、高校生の時に初めて一人でRainbow2000というレイヴ(フェスみたいなもん)に行きましたと言うテクノキッズでした。

高校を卒業してコンピュータ総合学園HAL(現HAL大阪)という4年制専門学校のマルチメディア学科に入学。
初めはVJに憧れてCG学科に進学するつもりでしたが、MacromediaのShockwaveというマルチメディアオーサリングソフト(Webサイトで知られたFlashみたいなソフト)で簡単なプログラミングができるのにハマって、プログラマを目指すことになります。

音楽繋がりで友達が増えて、イベント遊びに行ったり楽器持ち寄ってバンドの真似事してたりしたのもこの頃です。
2年と3年の間に1年間休学(体調不良とかではなく遊びたくてw)したので、計5年間友達たちと楽しい時間を大いに過ごさせて貰いました。

最後に

と、概ね楽しく精神疾患とも縁のなかった社会人までの俺の人生の振り返りはこの辺で。
次回からは本題の就職以降のうつ→双極性障害の体験談となる予定です。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!

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