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ズボラ男、朝食。

体が重かった。滋養を全く摂っていない。自室にあるのは真っ黒いエナジードリンクの空き缶とスモークタンのプラゴミだけだ。ピコピコうるさい目覚まし時計を叩いて黙らせる。静かになった。

静か。俺の部屋を静まり返らせているのは何もクソみたいに早い時間だとか俺がベッドの上で座禅組んでなんとか空腹をごまかそうとしているからじゃない。孤独なのだ。同棲してる彼女がいない。これは重大なことだ。
彼女に食事を任せていた。俺の鍋だけで錬成したジャンク飯よりもはるかに美味い料理を作れるからってほかの家事を全部引き受ける代わりに任せていたのだ。
だがいくらここで「人のうわさをしているとその人間が姿を現す」の法則を適用するのは無駄だ。なにせ仕事だ。朝までかかって、仕事。SEをやっているらしくこんなことはザラなのだが。俺とは低く見られているという共通点において似た仕事なのだろうがセケンテイが偉い違いだろう。
hurm。ため息の一つや二つのカロリーも惜しい。

シーツに絡まった足を動かして、ベッドから降りてみる。なるほど汗ばんでいる。だから動きが取りにくかったのか。そうか、そうか。納得したところでどうなのか
腹が鳴る。
俺にはどうしようもない。この体の奥深くから来る食欲、それも爽やかな朝を迎えるための飯を食いたいという気持ちはブレーキをかけることさえままならない猛スピードの要求だろう。
もう我慢できない。俺は缶を蹴飛ばし灰皿をぶちまけて冷蔵庫へと到達し取っ手を握って一気に開ける。さながら、ジャングルの奥深くに眠る宝の入った墓を暴くような荒々しさで開ける。
オレンジ色の光が目に飛び込んできて、瞳孔が縮まるのを感じる。太陽よりも目に良くない。
で、物色。ああ。最初から分かっていた。
俺の冷蔵庫には賞味期限が切れた体積1/6のヨーグルトともったいなくも買い足した新品しか入っていないことが。
あとは、調味料だけだった。野菜少しと魚肉ソーセージ数本があるが俺の腹は膨れないだろう。
俺は目を閉じる。SIGH。瞼を開く。HUGH。

料理、してみるか。

俺は彼女との会話をなんとか思い出す。料理論だ。
「マチコ、炒め物するときの隠し味ってなんなんだ」
「教えたら私いらないじゃん。隠し味ってのはね……人生のふとしたきっかけで気が付くものなんだよ」
彼女はどこでその言葉を覚えたのだろうか。バリバリの理系仕事をしている彼女からは想像もつかない発言だ。
確か俺はこう言った。
「うん。それでも知りたいんだよ。隠し味って何」
「冷蔵庫にあるものを適当に入れるだけだよ」
「へえ。雑なんだね」
「人間だからね」

人間だからね。か。栄養ドリンクに頼りきりでおおよそ人間らしい食事をとっていない。
材料を再確認する。野菜。ヨーグルトたくさん。あと魚肉。
うむ。野菜炒めだ。俺が大学時代それこそ山のように作ったあの料理を復活させるのだ。
冷蔵庫からしなびた植物(ニンジン、キャベツ、マッシュルーム)を取り出す。俺は山賊が仕留めた獲物を荒々しく調理するさまを脳裏に描き、野菜の皮を剝いてざく、ざく、ざくと切っていく。まな板が湿る。幸い水分はまだあったようだ。ザルに入れてさっと水洗いする。キャベツの表面に水滴がついた。薄暗い部屋でも奇麗だった。
次におさかなソーセージの個包装と格闘した。なんて苦しい戦いだったのか。俺の指は赤くなった。
これで食材は揃った。
フライパンをどっかと乗せるはガスコンロ。つまみを反時計回りに回してカチリと言わせて、火花のスパークを見届けた後サラダ油を敷く。火力はもちろん「強」だ。
油がはじける。いい音だ。じゅわわっ。魚肉と野菜を投げ込む。じゅわわわわっ。フライパン上で踊れ! 俺は炎の料理人だ。うおおお。
野菜炒め独特の焦げた匂いがしてきた。多分、甘い野菜炒めなのだろう。
俺は頭をひねる。滋養はあるかもしれない。だが、甘い野菜炒めで俺の腹が膨れるのだろうか?
ひらめいた。彼女のあの言葉をつかうときだ。
「冷蔵庫にあるものを適当に入れるだけだよ」
俺は賞味期限がおととい切れたヨーグルトを取り出す。賞味期限が一日二日過ぎているからなんだ。ヨーグルトはヨーグルトだ。乳酸菌が働いて作る。納豆と何ら変わらない。つまり俺の関東的な勘に言わせてもらえば、多少放置していたほうがうまみが増すのだ。だけどちょっとだけ中部地方に染まった俺は彼女に感化されて発酵食品を食うことがままならなくなった。だから俺はここで折衷案を採用した。

つまりは調理してしまうのだ。彼女の言葉通り適当に入れてしまうのだ。
じわじわと焦げ付き始めたフライパンを見る。黒ピンク緑オレンジ。確かに彩りも足りない。だがヨーグルトの白はどうだ? 完璧じゃないか。俺はヨーグルトを叩き込んだ。砂糖は入れていないから酸っぱいあのヨーグルトのままだろう。
香りによって頭もさえてきた。たしかインドでは適当に家でこしらえたヨーグルトを毎回の食事で調味料代わりに使っていて、あんまり食事をとらなくても健康なのはそれが理由だそうだ。つまり俺のしていることは正しい。多分。
とろとろとヨーグルトが溶けていく。水分が消えうせ、ちょっとしたチーズの姿にもなる。思っていたものとは違ったが、タレのようなものと思えばまあ妥協の範囲だろう。塩コショウ、醤油を垂らしてサッサと菜箸で炒めた後、少し大きい皿にのせた。
香りはよかった。香ばしくも豊かな香りがする。とてもむさ苦しいお兄さん、おじさんが作ったものではない。
さて新品のヨーグルト。関東人かつ中部人の俺はもはや凡庸にはちみつと食べることでは満足できない。
だが思いつかない。とりあえず、プラスチックの蓋を外す。中の蓋の表にショ糖が付いていた。こんなものもあったのか。俺は有難くそれを外した。多分、みんなこの砂糖を使わないのだろう。砂糖味のヨーグルトの味なんて覚えていない。
スプーンですくって適当な小鉢に盛り付ける。おしゃれなものだ。
切りにくい砂糖の袋を右手の力で一気に切る。砂糖の雨が白いヨーグルトへと溶けていく。数グラム外にこぼれたが、今更この散らかった部屋ですこし汚れようが気にする必要はない。どうせ後で片づける。
醤油を少し垂らす。茶色が混じった。

俺は親に倣ったように手を合わせた。俺の子ができたら同じように手を合わせて「いただきます」を言わせるつもりだ。

白米はないから、プレーンヨーグルトを飯代わりに食う。まずは野菜炒め。

知っている味だ。野菜の味ももう何十回も食べたのにまだ知らない味だ。だけどこの味付けは知っている。手の込んだこの味は知っている。雑なこの味は俺がよく食う味だ。名古屋の味だ。マチコの味だ。

ヨーグルトをスプーンで掬って口へ運んだ。俺の体に刻まれた記憶が浮かび上がる。この味だ。小学生の頃の味だった。

気が付くとがつがつと食っていた。俺にとってのヨーグルトはアルバムなのかもしれない。俺ですら気にしない味だし、何気なく使うようなものなのに、ふと自分で改めて蓋を開け皿に入れたり、もしくはフライパンに叩き込むことで舌と頭が覚えている記憶がお土産屋さんで買う風景ポストカードよりも鮮明に浮かぶアルバムなのかもしれない。つまり俺は逆説的に記憶を食べている。過去の自分と同じ記憶の中にある食べ物を食べている。
贅沢だ。

そして隠し味の正体、俺にそれが分かった。あとでマチコに伝えよう。
小皿に残ったヨーグルトを口に入れた。

しょっぱかった。

コインいっこいれる