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あの日、あの街で、彼女は。〜浜町駅〜

彼女の黄金期が、たしかに、そこに。

上京してすぐの頃、「浜町駅」と「浜松町駅」を区別できていなかった。浜町駅は、都営新宿線を千葉方面に進んで9駅目、隅田川の手前にある。急行も止まらないし、乗り換え路線もない。地上に出て少し歩くと、インド料理屋さんのカレーの匂いが食欲をそそる。

ー彼女の黄金期。
それは、もっとも達成率が高く、連続達成が続いていたとき。
それは、もっともインセンティブで稼いでいたとき。
それは、もっとも相性のいいお客さんと仕事をしていたとき。
それは…

新卒のときに引き継いでから4年半。紛れもなく、5年間で一番長く担当したお客さんだった。そして、社内での担当歴も最長だった。気づけば「〇〇会社といえば彼女」、むしろ「彼女といえば〇〇さん(採用担当者名)」が通用するほど、イメージが定着していた。

4年半の間に、お客さん側の採用担当者は5人も変わった。退職、異動、出向、左遷。彼女の黄金期を作ったのは、退職してしまった最初の担当者だ。新卒から2年半ほど、とってもよくしてもらった。仕事にやりがいと成果を見出せたのは、その方のおかげと言っても過言ではない。

「春は、出会いと別れの季節」なんて言うけれど、売上とメンタルの支えになっていた担当者との別れは、今世紀最大の別れに思えるほどつらいものだった。ビジネスライクな営業スタイルが苦手で、パーソナルな部分も含めて関係を深めるタイプの彼女。あまりにも感情移入しすぎていた。

それ以降は、相次ぐ担当者の変更やコロナ禍による市況の変化など、目まぐるしかった。引き継ぎ時点から最高で7倍近くまで伸ばした売上も行き詰まり、現状維持が続く。彼女自身が築き上げたお客さんの歴史を、一進一退を繰り返しながら塗り替える。

浜町駅の近くには、作業ができるようなチェーン店のカフェがない。外出が続くときは別の駅まで移動してたし、急な対応は外のベンチに座ってパソコンを開いた。向かいのベンチでパソコンを片手に電話するサラリーマンにシンパシーを感じる。

とある真夏日、どうしても浜町駅から動けない予定があった。コンセントを求めて、Googleマップで「ファミレス」と検索する。ガストもサイゼもあったけど、かろうじて駅から近そうなジョナサンに向かうことにした。

大通りに出てビル群を見上げる。束の間、視界が一瞬で地面に落ちる。横断歩道を渡ろうとしてつまずき、派手に転んだのだ。ビルの目の前に広がる硬くてつやつやに光る地面に両膝を打ち付ける。手に持ったスマホは投げ出され、バッグのポケットからは定期券が飛び出る。「大丈夫ですか?」優しいおばさまが声をかけてくれた。熱中症で倒れたと勘違いされたのだった。

匂いしか知らないインドカレーも「黄金」に輝いていたのだろうか、いつまでも別れに不慣れな彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


*プロローグ

*マガジン

※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

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