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未亡人日記46●「戦場のメリークリスマス」

「どんなお葬式にしたいですか?」 

と葬祭ディレクターの女性に聞かれたのかもしれなかったのですが、
ディテールをもう思い出すことができません。

でも「音楽で送りたいと」はっきり思ったのでした。
それで、わたしは突如、葬儀の時に流す曲を頭の中でDJし始めたのです。

夫は傍らで静かに眠っていました。

悲しみを紛らわす手段だったのでしょうか。
自分としてもこの思いつきに救われて、DJラックをひっくり返しながら、私は真剣に生き生きと曲を選んでいました。

来てくださる方をお迎えするときに流す曲はCDの音源から。そして、来てくださった方と一緒に音楽を聴きたい。

オーケストラをやっているママ友にお願いすると、電気の暗いわが家に二人で打ち合わせに来てくれました。

こういうことが本当に好きなんだな、バカだな私は。

そう思いながらも多少ワクワクするんですからしょうがありません。

遠い昔。
夫と会い始めたころ、私は「サムソンとデリラ」の「あなたの声に私の心は開かれていく」をよく聞いていました。これはオペラの曲です。デリラという悪女がドスの利いたセクシーなメゾソプラノで勇者サムソンを誘惑するんです。
ロマンチックなんです、私は。

そしてそのCDの中に入っていた流れでマリア・カラスの歌うオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」の「私はエウリディーチェを失った」も好きな曲でした。

あれ、まさに私は今、夫を失ってしまった、これをかけるしかないでしょう? 

でもそれって誰もわからないよね?
実際、だいぶ後で歌を専攻していたママ友に選曲の意図を言ったら
「へえ、よく知ってるね」と感心されました。
完全なる自己満足。

まさかこの曲がこんな風に使用できる目に合うとは、思ってもみなかった。
だから、嬉しいわけではないけれど、自分の好きな曲が生きるっているのもなんだかいやではないんだな。
葬式にそんなことを思うのは私ぐらいかもしれないけれど。

私が選んだ曲たちは式の中のBGMだったのですが、お通夜ではお経とお焼香のあと、第二部として夫を偲ぶ余興のような音楽会をしました。
たくさんの人が残ってくれていました。

ヴァイオリンとヴィオラと鍵盤でママ友とパパ友が、私のリクエストに応えてくれて、夫の好きだった坂本龍一の曲をメドレーで弾いてくれました。お願いしてから葬式まで1週間あるかないかだったのに、冷静に考えると、友達の献身と力量に頭が下がった。
そして圧巻は鍵盤のママ友が弾いてくれた「戦場のメリークリスマス」。

「ちょっと、寝てる場合じゃないよ、起きて、聞いてよ。素晴らしいねえ」

ということがもうできない。唯一無二の戦友である夫を亡くしてしまったという事実に直面し、こんなに呆然とすることはありません。

こんなにみなさん集まってくれて、あなたと一緒に過ごしてくれて嬉しいよね、それにこの音楽会、悲しみの中の思いつきで言ったのに、引き受けてくれる友達がいて、お焼香も終わったのに残って一緒に聞いてくれる方たちがいて。わたしだって、こんなにがんばったんだよ、だからねぎらってほしいというのもあるけれど、それよりは、あなたが喜んでいる顔を見たいよう、だって絶対うれしいもんね、私にはわかるんだから。本当に。

棺の中の夫には聞こえていたどうかわからないけど、まだそこらへんにいる夫の魂には届いているはず。

喪服から出た手をもじもじといじりながら、そんなことをとりとめもなく考えている。

ピアノの音が雪のように降り積もる。

病いとの闘い。戦場の時間が終わったあとの平和のメリークリスマス。

「この後、私はこの曲を聞くたびに今日のお葬式とご主人のことを思い出すからね」
素晴らしい演奏に、お見送りのとき、そう賛辞を贈ってくれた方がいらっしゃいました。

夫よ、と、私は呼びかける。

それこそ私たちには本望だよね?

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