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【中学受験】国語の入試問題の考え方

 国語の入学試験問題は、筆者の考えを理解するのではなく、出題者の考えを理解することが大切です。

 一般的な文章作品に無駄な言葉はありません。筆者が、自分の中にあるものを表現するために使った言葉なのですから、筆者にとっては全てに意味があります。しかし、入試問題では異なります。
 その文章作品が入試問題で扱われる場合は、出題者によって編集されていることが多いです。文章の一部分を切り取っているものもあれば、切り取った部分を繋ぎ合わせて再構成しているものもあります。それらの文章は、筆者の想いの趣は残しながらも、決して筆者の想いを表現するものにはならなくなります。
 それは、あくまで筆者の表現の中から出題者が汲み取ったものになります。その時点で入試問題は、「筆者の文章」ではなく、「出題者の編集物」になってしまうのです。

 たまに「自分の文章の扱われた入試問題を解いたら、全く点数が取れなかった」という作家の談話がありますが、それは、このような事情から生じています。「筆者の作品」から「出題者の編集物」になるがゆえに、筆者の想いと出題者の意図がズレてしまっているということでしょう。
 つまり、「編集物」は「文章の一部分と問題文を合わせた一つの作品」になっているのです。故に、出題者が入試問題用に編集した時点で、それは筆者の文章ではなく、出題者の文章として読む方が良いのです。

 学校が文章を編集して入試問題を出題する理由は、その文章の理解を求めているからではありません。学校の理念を理解できるか確認するためです。
 国語の入試問題を毎年追いかけていくと、その学校の共通テーマが何となくみえてきます。学校は、ただ良い文章を読ませて理解を求めているというよりも、文章の先に理念や求めている生徒像があり、受験生がそれに対して適格かを確認するための文章を選んでいると思われます。そのため、国語の入試問題はあくまで学校の解釈によって成り立っている編集物にすぎないのです。
 その文章に対して「あなたは、どういう風に思いますか?」「あなたは、どんなことを考えますか?」という問いを投げかけているにすぎません。当然、その答えは学校が求めている生徒像に繋がっていきます。

 したがって、国語の入試問題に挑む際には、その学校の理念を深く理解することが大切です。特に記述を多く書かせる学校では、その記述の内容を理念ベースで採点しているのではないかと感じられるところもある程です。
 私の指導経験の範囲では、「この子は、学校に気付いてもらえるかもしれない…」という良い記述内容の書ける子は、意外と逆転合格していました。

 その意味で、「自分の子供に合っている学校」を見つけようと思えば、まずは保護者様が気になった学校の国語の過去問に取り組むことをお勧めします。そうすることで、その学校の理念が見えてくることがあるでしょう。そこで波長が合う学校が見つかることもあると思います。それが、私たちが最もお勧めする学校の選び方です。


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