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天上天下唯我独尊

私が私として生きることそのこと自体が尊いこと。

その尊さを自らに明らかにするのが宗教である。
というお話を先日いただきました。

自分自身が見えなくなったり、気づかずに周りを不幸にしていたり、そういうものは宗教ではないと。

どうしても仏事が伝わってきたのか、それはご先祖は私にその生きることの尊さを伝えてくれる存在であるからだと思います。

私たちは、もし自分が亡くなるその時に、自分の子供に、もしくは孫にどういうことを伝えたいでしょうか。

おそらく、
「もっとお金を稼げるようになりなさい」
「もっと偉くなりなさい」

そういう風には言わないのではないかと思います。

「人に対して親切にしなさい」
「みんなと仲良くしなさい」

最後には、「生きているだけで幸せなのよ」と伝えるのではないでしょうか。

生きていることが尊いことなのだと。

そして伝えられた子や孫は、

人間関係に悩んだ時
心が傷ついた時

もしかしたら、その親や祖父母の言葉を思い出すかもしれません。

その尊さが伝わっていれば、私が私として生きていていいんだ、そう思えるかもしれません。

それは親や祖父母の最後の言葉だから心に響くという面はあるでしょう。

命が生まれたとき、または命を終えていくときにしか感じられにことがあります。

しかし、たとえ忘れてしまったとしても、法事の時には手を合わせる。その時ふと思い返すこともあるかもしれません。

自分だけでは思い出せないのです。

昔 、CMでこんな言葉がありました。

「命は大切だ、命を大切に、そんなこと何千何万回も言われるよりも、あなたが大切だ、誰か一人がそう言ってくれたら、それだけで生きていける」

命は大切だ。世の中でありふれた言葉では心に響かなくなってきてしまいました。

誰かが私に言ってくれた言葉じゃないとダメなのです。

その言葉が、時には私に大きな力を与えてくれるかもしれません。

先祖は私に、私たち子孫ひとりひとりに、あなたが大事だと伝えてくれる存在です。私も皆様も自分の子供、孫にはそう思うはずです。

自分の力だけでは思い出せないから、仏壇の前で手を合わせる、縁ある人々が集まり、供養をする時間を持つことで思い出してきました。

「亡き人を案じる私が、亡き人に案じられている」

ご先祖に手を合わせることによって、ご先祖に思われていたことを知る。

生きていることそれが尊いことであると、生前の想い出を通じて教えてくれる。私ひとりに教えてくれる。

ありふれた言葉としてではなく、私1人に向けられた言葉として私の心に届く。

その時に、綺麗事ではなく、よくわからない言葉ではなく、「天上天下唯我独尊」という言葉が私にとって意味のある言葉になるのではないでしょうか。

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