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お家にいられない/できなくなってしまったこと。<夫を亡くして思ったこと #3-1>

夫を亡くして以来、できなくなってしまったことがたくさんあります。これらがまた普通にできるようになることが私の“再生”なのかもしれませんが…。その一つが「自宅に居られなくなった」ことです。

ソテツが見える部屋

うちの家は賃貸ながら、私たちはとても気に入っていました。「南向き」「駅近」という私たちの譲れない条件を引っさげ、不動産屋を回ること2日。その部屋は窓の外にワシャワシャのソテツの木があり、以前のマンションとほぼ変わらない間取りで即決で契約。今から10年前のことです。

数年経ち、住宅購入も視野に入れましたが、この部屋のように気にいるところがイマイチ見つからず…。そもそも、ぼうずさんも私も「持ち家思考」がそこまでなかったこともあり、「この部屋がいいね」と住み続けています。

そんな家でいきなり望んでもいない一人暮らしになりました。

6:20と夕方の闘い

救急車を呼んで、あっという間にこの世から消えてしまったぼうずさん。
ソファの右側に、彼のベッドの上に、仕事部屋の彼のデスクの席に、未だにぼうずさんの気配と言いますか、そこにいるような気がします。

特に辛い時間帯というのがあって、毎朝彼を会社に出社する6:20。必ず「いってらっしゃい」と送り出していました。
私は夜型になりがちな仕事をしているため、起床・就寝時間はまちまちなことが多かったのですが、毎朝送り出すことは、「今日も元気にちゃんと帰ってきて」とおまじないでもあり…。どんなに眠くてもその時だけ起きて、二度寝する、ということもよくありました。
この「いってらっしゃい」が染み付いてしまってまして、5:30なり、6:00なり、6:20に合わせるように起きてしまいます。

夕方。ぼうずさんはお客様のところから直帰することも多く、17:00〜19:00までの間に帰ってくることもよくありました。私は人様より少し耳が良いようで、「あ、帰ってきた!」と、マンションの共用廊下を歩くぼうずさんの足音を聞き分けていました。

力強いあの足音が聞こえない、もう聞くことがなくなってしまった、と思った瞬間から、どうにも、夕方、家にいることができなくなりまして…。自分で自分を苦しめているのはわかるのですが、どうしてもこの時間、夕暮れから夜になる間はどこか別のところに逃げています。

少しでも自宅に居られるようにすぐに変えたこと

ぼうずさんは朝型の人。仕事がない限り、21:00や22:00にはベッドに入っていました。そんな人だったため間接照明は苦手で、我が家は深夜でもシーリングライトが煌々としていました。

一人になって、夜、この天井からの明かりが辛い…。一段と寂しくなる夜にこの明かりでは耐えられない…。そのため、いくつか小さめの照明器具を買い、夜の明かりは間接照明にしました。

「この家で暮らす」が課題

今、週の半分は実家に逃げています。
亡くなった日、自宅に戻ってきたとき、「二人で暮らしたこの家にもう住めない」と思いました。でもその考えはすぐに「彼との思い出の家から引っ越すなんてできない」と切り替わりました。

引っ越しは今のところ考えていません。考えられません。
でも、自宅仕事の私が、ちゃんと仕事ができるように、ちゃんと生活ができるように、少しずつ変えていかないといけない。

「できるときに、少しずつ」
いろんな方がそう言ってくださいます。
自宅がまた「大好きなお家」になるように。ちょっとずつ、ですね。

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