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潜伏-ワークショップとはなにか 2023-

WSD Advent Calendar 2023
主催者ちょなんさんが2020年からはじめられて、
毎年23日に掲載していたのですが、
今年はぼーとしている間に埋まっておりました😆
だったら、トリをいただこうと、今日に至ります。

おそらく、WSDを修了してから最もワークショップ実践回数が少なかった2023年。どうしてそういうことになったかの経緯も交えつつ、WSD8年目の所感を交えつつ「ワークショップとはなにか」を書こうと思います。

過去のアドベントカレンダーの記事はこちら💁‍♀️
2020 / 2021 / 2022

WSD修了時

2016年3月頃。
「ワークショップとは平和への祈りである」
と書きました。
どうしてそんな大層なお話になったかは、私にとってのワークショップの認識が下記のようなものだったからです。

・日常にある小さな争いが減れば、戦争の火種も減る
・話しづらいことの話し合いのキッカケになる
・解決策が見つからないことの解決策を見つける手法の一つ

万能な手法ではないけれど、用量・用法を正しく使えば、人々の仕事や生活を生きやすくしてくれるモノであると思っていました。
主に仕事における、余裕の無さからくるボタンのかけ違いの相互不理解、仲が良かったら人達が状況の変化による不仲などを見てきて心を痛めていた私にとって、ワークショップをデザインすることは、そう言った不仲が発生しないように願いを託すような行いでした。

願いを託す行い

「平和への祈り」という思いを持ち始まったWSDとしての活動。右も左も分からないまま、とにかく経験を積みたくて、沢山の方々にご協力いただいた〜2020年頃。イベント事務局、小学生対象のWS、読書会のファシリテーター、社会人学生対象のWS、WSD修了生スタッフ、発達障害支援の任意団体の立ち上げ、子供向けWSのコーディネートなどなど。
WSに関する経験を積み重ねていった結果、ワークショップをデザインする時だけではなく、「働く」をする時には、「自分の行為にどういった結果が生じるのか」みたいな思考が身につきました。
また、ファシリテーターとしてどうあるべきか?みたいな部分にも自分なりの考えを見出し、実践し、結果として、人生、大分生きやすくなりました(話が長くなるので今回は割愛)。
ワークショップをデザインする行為は、取捨選択に満ち溢れていて、アイスブレイクをやった場合とやらなかった場合でどうなる?みたいな想定やアイスブレイクが終わったら、どういう状態になってて欲しい?みたいな問いかけを重ねていって、テーマにブレずにゴールを目指す、ロールプレイングゲームみたいだなぁって思います。又は、レポート作成。その取捨選択にどうしたいか?設計した人の願いが乗っかっているものだと、今も思っています。

経験を積み重ねてみて

色々やらせてもらったことで、そしてコロナ禍になったことで、自分で何かをしたいなぁと思いはじめた2020年。コロナで減った活動を更に縮小化する方向に舵を切りました。ひとりになって、プライベート見直したりしたりしながら、次の方向を考える時間を過ごす中で、下記のことを思うようになりました

・ワークショップは実施するよりデザインが好き
・単発的な実施より、中長期的にヒトとヒトの関係性づくりをデザイン&ファシリテーションしたい
・モノゴトの仕組み化やスケジューリングが得意だから、それらを活かしたい

そんなことを考えているうちに2023年となり、WSD修了生と結婚するという予想外な出来事や、「ファシリテーター」がつく職名の仕事に転職というような事態が発生しました。

ワークショップじゃなくてもワークショップデザインは日常に息づいている

WSDを修了した頃。ワークショップを名乗るただのグループワークやイベントの最後に参加者同士に感想共有するだけの会にモヤモヤしていました。しかし、最近はそんなことはなくなりました。ガッチガチにデザインされたものだけがワークショップというわけではなく、エッセンスがあれば良いんじゃない?みたいなゆるさや余裕?みたいなものが自分にできたからかもしれません。

そのゆるさや余裕?が、ワークショップ、無理にやらなくていいよね?的なものにつながり、「座して待つ」気分になり、アクセルの踏み込み待ちみたいに日常を満喫することになってきました。
準備は整った。あとは「これ」ってモノを見つけて、
見つけたら走り出すのみ。

幸い日常は色んなことが起きます。転職した仕事は緩やかなプロジェクトを複数本管理してる感じなので、プログラム&ファシリテーションデザインをほぼ毎日しています。「プログラムデザインするぞ!」って意気込んでやるのではなく、「あれってプログラムデザインだったよね」というような、日常に溶けて、当たり前になっている感じ。

ワークショップとはなにか

「日常に息づくもの」
というのが今の私の答えのような気がします。肩肘張って付き合ったり、構えて使う道具ではなく、当たり前に側にあって、気がついたら使っているぐらいの。

「ワークショップやります!」と言って、ワークショップやることに自分の中で違和感があって、境目がない感じで、「結果ワークショップだった」みたいなことが今はやりたかったりするのです。

おわりに

後半ものすごく抽象度の高い、自分でも何を書きたいんだかはっきり分からない中で文章を書いてみました。不明確な面白さ、不明瞭だからこそ伝わるなにか。
わたしはいま、面白い出会いを求めているのかもしれません。

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