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「介護」と「在留外国人」から見えてくるもの

** 2024年6月に加筆および修正をしました。

「介護」という言葉を耳にするようになって、だいぶ経つ。

最近では、電車に乗っても、スマホを見ても、新聞でもテレビでも「介護」の文字を目にしない日はない。すっかり身近なテーマだ。「介護」をするのもされるのもできるだけ先延ばしにしたい。それが、多くの人の本音だろう。でも、物事は自分が思うようには進まない、そんな現実がある。

話は変わるが、日本で暮らす在留外国人の数が増えている。

どの地域に暮らしていても、留学などの短期滞在ではなく、中長期にわたり日本で生活する外国人を多く目にするようになってきた。出入国在留管理庁の発表によれば、令和4年6月時点での在留外国人は296万1969人で、その数は年々増加傾向だ。

この「介護」と「在留外国人の増加」は、一見したところ全く別の話に思える。でも、この2つをずっと切り離して考えたままでいいのだろうか?

想像してみてください。

もしも、あなた(または、あなたの大切な人)が外国に住んでいて、介護を受けることになったとしたら。もしも、外国に住んでいて認知症になったとしたら。

多様な文化背景をもつ人々が日本で暮らしている。国籍に関わらず人はだれでも年をとるし、高齢者になれば介護が必要になる可能性がある。

つまり、日本に暮らす外国人も介護を必要とするかもしれないということ。

そういった視点で「介護」について思いをめぐらせたことがあるだろうか?

日本の介護施設で介護を受けているのは日本人だけではないし、日本人に介護されているのは日本人だけではない。

そんな状況を見聞きしたことがあるだろうか?

介護が必要になった在住外国人はどんなことで困るのか。
彼らが日本の介護施設でどんな介護を受けているのか。

そんな想像をいままでしたことがあるだろうか?

『介護の現場から考える地域社会』というセミナーに参加した。外国人高齢者の介護という視点から、地域社会を考えるのがテーマ。

そのセミナーで、中国・内モンゴル自治区出身のフフデルゲル(呼和德力根)さんから貴重なお話を伺ったので、シェアしようと思う。

フフデルゲルさんは2005年に来日。神戸市外国語大学大学院修士課程を修了後、NPO法人神戸定住外国人支援センター(KFC)の活動に加わった。ヘルパー2級、介護福祉士、認知症対応型サービス事業管理者研修介護支援専門員の資格を持つ。現在はゼネラルマネージャーとして、日本人高齢者をはじめ、在日韓国人、ベトナム人、中国人および中国残留邦人帰国者等の高齢者支援に取り組む。

フフデルゲルさんは、神戸のグループホーム【ハナ】でゼネラルマネージャーをしている。ホーム利用者の半分以上が、韓国人、ベトナム人、中国人などの外国人高齢者だ。

自分から望んで来日した人、パートナーの転勤に伴い来日した人、短期滞在のつもりだったのに日本が最期の地となる人。事情はそれぞれちがう。彼ら全員が、日本で暮らしたいと思って日本にいるわけではないという点に、留意する必要がある。

祖国ではない土地で介護を受けることになった。そんな彼らの心中はどうだろう。私はそう考えずにはいられなかった。

グループホーム【ハナ】では、施設利用者の国籍に合わせ、スタッフも様々だ。日本人のほか、韓国人、ベトナム人、中国人、ペルー人など、スタッフの国籍もバラエティに富んでいる。

「職場環境が多文化なので、スタッフの共通語は日本語か英語です。国籍の同じスタッフ同士は、職場では自国語で話しています。気を遣わずに母語を話せる職場環境は、ありがたいですね」

フフデルゲルさんは、流ちょうな日本語でそう話す。

「色々な国のスタッフがいてトラブルも多いですが、学ぶことも多いです。国によって、“老い”に対する考え方、“介護”についての向き合い方、“死”への思いなどが全く違っていて、勉強になります」

利用者もスタッフも国籍がバラバラの環境では、お互いの文化的背景を理解していないと、ちょっとしたことがトラブルにつながりそうだ。介護をするうえで、生活習慣などに対する意見の違いはあるのだろうか。

「ちょっとした生活習慣の違いが誤解を生むことはありますね。以前、こんなことがありました。中国人の利用者が、お茶の葉をそのまま湯呑に入れてお茶を飲んでいたんです。中国ではあたりまえのやり方です。でも、それを見た日本人のケアマネージャーが『お茶の葉をそのまま入れるなんて認知症がひどくなったに違いない』と私に報告してきて。中国人はそうやってお茶を飲むんですよ、と彼女に伝えたらビックリしていました」

このとき、フフデルゲルさんは『自分がケアマネージャーにならなくては』と思ったという。中国人の文化的背景を理解できるのは自分だから、と。

グループホーム【ハナ】でのエピソードをいくつも紹介してくれたが、私が1番驚いたのは次の話だ。

「認知症になると、それまでバイリンガルだったとしても、第二言語を忘れてしまうケースが多いんです。母語は忘れないけど、あとから獲得した言語は忘れてしまう。すると、日本語が通じなくなります。母語でしかコミュニケーションをとれなくなるんです」

スタッフは全員シフトで働いているので、利用者の母語を話せるスタッフが常にいるとは限らない。そういった場合は日本人スタッフがケアすることになるが、介護を受ける利用者からすれば、日本語が分からないことによるストレスが積みあがってしまう。

「言葉が通じなくても、数字クイズやぬり絵などを使って介護する“異言語認知”のレクリエーションが必要だと感じています。非言語コミュニケーションですね。そういったものを使えば、利用者さんに少しでも楽しんでもらえるんじゃないか、って」

毎日がチャレンジで、日々考えさせられる、というフフデルゲルさん。言葉さえ通じれば解決の糸口が見えてくるのに、言葉が通じないために、自分の要望をスタッフに伝えず、我慢してしまう利用者もいるという。

「いつも周囲に気配りする中国の方がいます。その方は、ある程度の日本語は話せます。でも、お風呂担当の日本人スタッフに『背中を洗って欲しい』と言えなかったそうなんです。スタッフを傷つけないように、丁寧な言葉でお願いする自信がなくて我慢していた、とあとから知りました。やるせない気持ちになりましたね。利用者の“尊厳の維持”は介護の基本なのに、って」

まずはケアマネージャーなどの管理者が、言語や異文化に理解を示す必要がある、と繰り返すフフデルゲルさん。日本の介護サービスをどう見ているのだろう。

「日本の介護力の低さには疑問を抱きます。介護に対する社会の意識が寛容じゃない、と感じます。日本は社会が進みすぎているのかもしれない。高齢者の扱われ方はどうなの?と思わずにはいられません。モンゴルでは大家族があたりまえだから、高齢者が1人で生活する日本って…と違和感を覚え、寂しくなります」

この言葉に考えさせられた。私はアラフィフなので介護は他人ごとではないし、私の周囲にも親の介護をしている人も多い。介護職に就いている友人も何人もいる。

誰にとっても、いつまでも先延ばしできるような話ではない、それが介護ではないだろうか。

「日本で暮らす外国人高齢者が来日した事情はさまざまです。望んで来た人もいるし、そうでない人もいる。でも日本で生活し、人生の最期を日本で過ごしているのは事実なんです。だから、全ての在住外国人高齢者に幸せな最期がありますように、と願わずにはいられません」

フフデルゲルさんは、そう言って講演を締めくくった。

今後、在住外国人はますます増えるだろう。それに伴い、在住外国人への介護サービスのニーズは高まっていくだろうと思う。

日本での介護サービスは日本人のためだけのもの、と思い込んでいないだろうか。さまざまな文化背景を考慮したサービスを、積極的に介護に取り入れる必要があるのではないだろうか。在住外国人が安心して介護を受けられるように多言語スタッフを配置しよう、それも一案かもしれない。

でも、言語面のサポートだけでは不十分だと思う。

もし自分が外国に住んでいて介護を受けることになったとしたら、どんな介護をして欲しいのか。多くの人が自分ゴトとして考えるようになったときに、業界は大きく前進するはず。

政府は、外国人材の受け入れ拡大に動き出した。「介護」と「在留外国人」を切り離して考えていてはいけないように思う。

介護が必要になった在住外国人の尊厳を保つために、どんな介護をしていけばいいのだろう。どうすれば、介護を受ける在住外国人が居心地よく最期を迎えられるのだろう。

そんな議論が必要なのではないだろうか。

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