表舞台には立たなくても
「季節ごとに色んな花を楽しめるのは、この人たちのおかげだったんだ」
花壇で花の植え替えをする人たちを見て、そう思った。腕には「公園ボランティア」という黄色い腕章。腰をかがめて作業している。平日の昼間、ウォーキング中に目にした光景だ。
その大きな花壇には季節を問わず、いつも色鮮やかに花が咲き誇っている。
その花壇の前はフォトスポット。多くの人が足を止め、カメラに収めたくなるような景色。健やかな花々が大空に向かって、のびやかに咲いている。
その晴れやかな眺めは、ボランティアの方たちがこうして丁寧に作業してくれるからこそ維持されていたのだ。
植え替え作業を目にするまで、わたしはその事実に思い至らなかった。いつ通りかかっても整備されている花壇。わたしにとってその美しい花壇はデフォルトで、いつもそこにある、あたりまえの光景だった。
その「あたりまえ」を守ってくれていたのは、この人たちだったのか。作業をする様子がとても印象に残った。
表舞台には立たずに、陰で支えている人がたくさんいる。そういえば、最初の職場でもそうだったな。
オモテからは見えない向こう側を、ちゃんと想像しなくちゃ。見えていない部分にこそ、物事の根幹に関わるような大切なことがあったりする。
♢
大学卒業後、国際空港近くのホテルに就職した。
わたしの就職先を聞いた多くの友人は「フロントで仕事するの?」と言った。まぁ、その言葉もうなずける。ホテルと聞いてすぐに思い浮かべるのは、フロントだろう。オモテから見たときに1番分かりやすい仕事だもの。
ホテルスタッフのほとんどは文系出身。サービス業のベースは人とのコミュニケーションで、ホテル業界に集まってくるのは、人と接することの好きな人たちばかり。多種多様の人と会話をスムーズにこなすのは、理系よりも文系の人の得意とするところだろう。
それなら、理系出身の人はホテルでは働けないの?
そんなことはない。ホテルには「理系出身の人じゃないと絶対にダメ」という仕事がある。オモテからは見えないので、お客さん目線だとあまり気づかないと思うが。わたし自身もホテルに就職して、あぁ、こんな部署もあるのかと思ったくらい。
それは「施設管理部」。
ホテルの施設全般を管理する部門で、ほとんどの理系出身の人はこの部署に配属される。分かりやすくいうと、ホテルのエンジニア軍団。ほとんどが男性だ。
たとえば、ホテル内の空調、照明、水回り、電気製品、機械、コンピュータ制御、調理器具、衛生環境などを毎日チェックする。ホテルのハード面である、館内の設備が問題なく動くかどうかを日々確認し、もし設備にトラブルが起こったら、迅速に修理・復旧をするスタッフだ。
ホテルの職種の多くは表舞台に立つ仕事だが、施設管理の仕事はオモテからは見えない。
施設管理部のモットーは「ゲストに存在を感じさせない」こと。
ほとんどの人にとって、高級ホテルは非日常空間。なかにはホテルに長期滞在し、月単位で住んでいるゲストもいるが、そういったケースは稀だ。
特別なとき、特別なイベントのために集い、特別な時間を過ごす場所。それが、多くの人が考える高級ホテルの使い方だと思う。非日常の空間に身をゆだね、普段の生活からは心身ともに離れて、リラックスしたり、ワクワクしたり。いつもとはちがう時間の過ごし方をする。
非日常感をホテルに期待する人は多いだろう。
それを念頭に置き、お客様と直接コミュニケーションする「オモテ」側スタッフは、非日常を感じてもらえるように接客する。一方、ホテルの施設管理スタッフは、そこに日常を持ち込まないように、日常を感じさせないように配慮しながら仕事をする。
「ゲストに存在を感じさせない」よう、お客様の目に触れないようなタイミングを見計らって、施設管理スタッフは客室の機器などのトラブルを迅速に修理・復旧させる。まさにホテルの縁の下の力持ち。
表舞台には立たなくても、施設管理スタッフがホテル内の施設をしっかり管理してくれるからこそ、ホテルのハード面の快適さは保たれている。
ホテルの価値は、施設などのハード面と接客サービスのソフト面とが両立しているか否かによって決まる。ハード面は、施設管理スタッフにかかっているのだ。
余談だが、施設管理スタッフはホテルの女性スタッフからモテる。文系出身の男性がほとんどという職場環境で、数少ない理系男子はキラリと光って見えるし、電気系統や機械などの不具合を瞬く間に修理するその姿に、頼りになるなぁ、素敵だなぁと感じるらしい。
航空会社の女性キャビンクルーは、パイロットよりも飛行機の整備士の男性に好意を抱くと聞いたことがあるが、それと同じような心境なんだろう。
ホテルだけでなく、どの職場にも、どんな環境にも、オモテからは見えない仕事に携わっている人がたくさんいる。表舞台には立たなくても、陰で活躍してくれる人のおかげで世の中は成り立っているんだな。
♢
そんなことに思いを巡らせていると、黄色の腕章をつけたボランティアの年配の女性に声をかけられた。
「ほら、今はまだこんなに小さな向日葵だけど、夏の終わりには大人の背丈くらいにはなるからね」
軍手をはめた手のひらには、向日葵の苗がチョコンと乗っている。
「わぁ、可愛い。大きくなるのが楽しみです。いつもありがとうございます!」
次から、公園に来るたびに向日葵がどれくらい成長したのか見てみよう。そのときには、今日会ったボランティアの人たちの表情も、しっかりと思い浮かべなくちゃ。
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