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いまだからこそできる工夫、それをしていこう

それは、あなたにとっては不要不急かもしれない。
でもね、わたしにとっては不要不急じゃないんだ。

飛沫防止シートにすっぽり囲われた1人用のブース。まるでビニールハウスみたいなその空間で、マスクをつけたまま歌いながら、そう思った。

劇作家の平田オリザさんの言葉を思い出す。

もちろん命はみんな大事ですよね。それは守らなきゃいけない。
一方で、命の次に大切なものは一人一人違うんだと思うんです。音楽がなきゃ生きていけないという人もいれば、演劇で人生が救われた人もいれば、スポーツが生きがいの人もいる。
何に救われるかは一人一人違うので、あなたは必要ないかもしれないけれど、人によっては命の次に大切なんだ。

ゴスペルは、わたしのライフワーク。メンバーが約100人のクワイアに所属して9年目になる。

近隣の3県に10か所のレッスン会場(音楽スタジオ)があり、毎週レッスンに通っていた。そう、つい半年前までは。

今年の3月以降、レッスンは当面休講になった。当然だ。三密だもの。三密の極みといってもいい。

音楽スタジオは換気の悪い密閉空間だし、 狭いスタジオに大人数が集まる密集場所だし、歌うことで飛沫が飛びまくる。疑問を挟む余地など1ミリもない三密。

歌えなくなったのは、もちろんわたしのクワイアだけではない。世界中で同じことが起こり、いまもなお続いている。

プロ・アマを問わず、すべてのショービジネス・エンタメ・スポーツ・イベント、そのほか多くの業界で、忍耐の日々。

わたしの所属するクワイアでは、ゴスペルをライフワークにしている人が多い。当面の休講決定に、多くのメンバーが戸惑いを隠せなかった。

ゴスペルを仲間と一緒に歌えるから、日々がんばれる。生活に、人生に、ゴスペルを必要としている。

そんなわたしたちにとって、ゴスペルを歌うことは不要不急なんかじゃない。

ライフワークを突然奪われたメンバーの複雑な思いを知り、先生は動いた。

曲の背景を説明する講座をオンラインで開いたり、youtubeで発声練習の動画を配信したり、オンライン個人レッスンをしたり。

でも、zoomなどを使っても、リモートで全員同時に歌うことはできない。音楽スタジオで歌うように、みんなの音色をその場で同時に合わせることはできない。どうしても音声の遅延が発生してしまうからだ。

ある日、メンバー全員に先生からのメール。そこにはこう書かれていた。

いままでのレパートリーから1曲選んだので、自分のパート(ソプラノ・アルト・テナー・バス)で歌ったものを自撮りし、動画のデータを送ってほしい。みんなのデータが集まったら、動画編集してミックスするから。

先生が指定した曲は、コンテンポラリー・ゴスペルの雄といわれるカーク・フランクリンの“OK”。

歌詞のなかに、こんなフレーズがある。

Yeah it’s dark right now
But I still see the light
Come on!
(訳)
いまは暗闇の中にいるけど
でもそれでも僕には光が見える
さあついてきて

このフレーズこそが、先生からみんなへのメッセージなんだろう。いまは、みんなで集まって歌うことはできない。でも大丈夫。そう励ましてくれるのを感じる。

So I’m gon’ be ok
We gon’ be ok
And you gon’ be ok
I’m gon’ be ok (Ok, Ok)
So I’m gon’ be ok

最後に繰り返されるフレーズに祈りを込め、何度も1人で練習し、動画データを送った。

その2週間後。動画完成の連絡とともにリンクが送られてきた。早速クリックする。

PCのスクリーンに次々と映るメンバーたちの顔。

休講になってまだ数カ月しか経っていないのに、ずいぶん長いあいだ会っていないような気がする。みんなの表情を順々に見ながら歌声を聞く。

懐かしい。

スクリーンに映るみんなにハイタッチしようとしても、ハイタッチは返ってこない。手を伸ばしても、みんなには届かない。

切ない。

つい数か月前までは、あんなに近い距離で歌っていたのにね。歌いながら、笑顔でアイコンタクトをとっていたのにね。

悲しい。

苦手な部分をカバーし合って歌っていたのに。歌える喜びをあんなにも共有していたのに。

悔しい。

いろんな感情が入り混じる。

「この歌詞は息をもっとたくさん混ぜて、ふわっと歌ったほうがいいよね」

「この部分はもっと腹筋を使って歌おう。太い声のほうが断然カッコイイ」

「ビブラートをもっと効かせて、余韻を感じさせよう」

円陣で交わす歌談義も、録画したスクリーン越しじゃできないよ。

最後に繰り返されるフレーズに祈りを込め、何度も聞く。大丈夫だよね。みんなで集まって、また一緒に歌えるよね。

So I’m gon’ be ok
We gon’ be ok
And you gon’ be ok
I’m gon’ be ok (Ok, Ok)
So I’m gon’ be ok

半年ぶりにトライアルで再開されたレッスンは、以前とはまったくちがう様相だった。

スタジオのドアと窓は全開。飛沫防止シートでおおわれた個室ブース。マスクは必ず着用。

個室ブースは4つ。ソプラノ・アルト・テナー・バス、それぞれのパートから1名だけがスタジオレッスンに参加する。それ以外のメンバーはオンライン参加だ。

オンライン参加といっても、音声の遅延が発生してしまうため、参加者のマイクはミュートだ。自宅だから、スタジオのように大声を響かせるわけにもいかない。

いろんな規制のもと、新しいルールのもとでのレッスン再開だ。仕方ない、三密を避けるためだもの。

飛沫防止シートで囲われたブースからは、先生の顔も見えにくい。マスクをつけたままだと口も大きく開けにくいし、息も苦しい。オンライン参加メンバーとアイコンタクトもとれないし、歌声だって重ねられない。

これもできない、あれもできない、ないないだらけだ。

それでも。

こうやって、ゴスペルをみんなと歌える。離れた場所でも、同じ曲を同時にみんなで歌える。同じ歌詞をみんなで口ずさめる。

みんながいま、それぞれできることを、できる場所でしている。

大きなスクリーンに映し出された何十人ものメンバーと、スタジオの4人。以前のようなレッスンにいつ戻れるのかも分からない。

それでも。

歌えるこの瞬間を大事にしよう。歌いながら、マスクの下に、ぽろぽろこぼれた涙が次々と吸い込まれていった。

「ゴスペルを歌うことに対して自分は近いところにいる、ゴスペルを歌いたいという欲求がある。そのことを確認できるいい機会だから。いまはゴスペルを、音楽を感じる期間なんだよ。いまだからやれることをやっていこう」

先生の言葉が胸にしみる。

半年前とは違うんだ。いまは、違う視点で楽しむ工夫をしよう。

たとえば、いままでに習った曲をおさらいして歌詞をすべて暗記する。曲の背景を調べて、歌詞の行間を読み取る。ゴスペル独特のクラップ(手拍子)を徹底的に練習するのもいいかもしれない。

いまの状況で楽しむには、どうしたって工夫が必要だもの。

何に救われるかは一人一人違うので、あなたは必要ないかもしれないけれど、人によっては命の次に大切なんだ。

平田オリザさんの、この言葉をもう一度かみしめる。

いまだからこそできる工夫、それをしていこう。

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