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「あなた」に出会えてよかった

大人も、こんなに楽しんでいいんだ・・・

あまりの驚きに棒立ちになった。40才を過ぎたわたしは、みんなを呆然と見ていた。年齢層もバラバラの男女が自由に体を動かし、満面の笑みでリズムにのり、口を大きく開けて歌っている。

その光景は、わたしにとって一種のカルチャーショックだった。

勉強に目覚めたのは中学時代。生まれ育った環境から脱するためには勉強するしかないと思い、コツコツと勉強を続けた。

女だって、自分1人で生きていけるくらい稼げるようにならないと。それは、ある意味わたしにとっての呪いでもあり、自分自身を鼓舞させるための指針みたいなものだった。

自分の将来やキャリアに役立つかどうか。

行動よりも先にそのことを自問し、動くべきかどうかを決める。自分が純粋に楽しむのは二の次で、キャリアアップに繋がるかどうかを優先する。そんなふうに考えながら生きてきたわたしは、周りから見たらずいぶん滑稽だっただろう。

「いっつも肩で風を切って歩いてたよね、シャキンとしてさ」

学生時代からのわたしを知る古い友人たちは、口をそろえてそう言う。

社会人になってからも、結婚してからも、子どもができてからも、いつでも「もっと上に行かなければ」と思っていた。今思えば、上ってなんだよ?という感じなんだけど。

周りにも同じようなタイプの人が多く、たがいにキャリアアップのために情報収集し、勉強し、腕を磨くことばかりにアンテナが向いていた。

今から12年ほどまえ。勤めていた特許事務所で、念願だった特許翻訳者になってから数年が過ぎたころ。

翻訳者としてもっと研鑽を積まなくてはと思っていた矢先、ある翻訳コースを見つけた。1年間のコースで、毎週水曜日の夜に2コマの講義があるという。受けたい、と思った。でも、仕事が終わってから直接行かないと間に合わない。

オットに相談すると「キャリアアップになるなら行ったほうがいい。毎週水曜日は仕事から早く帰るようにするよ。保育園のお迎えも家のこともやっておくから、大丈夫だから行っといで」とエールをくれた。

いつも味方になってくれる。本当にいいオットだ

そのコースが始まると、オットは毎週水曜日だけは定時ダッシュで帰るようになった。1年間の翻訳コースを終えるころ、オットは「水曜には定時ダッシュの男」と周囲から認識されるようになったらしい。

「水曜日に定時で帰るのがデフォルトになったから、会社ではもうこのままで行きたいんだよね。だからさ、水曜の夜にカミーノがなにかしたいことがあれば、やりなよ。今までどおり、保育園のお迎えと家のことはやっておくし。水曜の夜、なにかしたいことある?」

こんな提案をしてくれるなんて、なんてデキたオットなんだ。

我がオットながらつくづくそう思うし、そんなふうに感じることは今までの結婚生活で何度もあった。

「えっ?!ホントに?!いいの?水曜の夜に好きなことしても?あるよ、ある!したいことある!わたしさー、ずっとゴスペル歌ってみたかったんだよね。教室さがしてみるわ。水曜夜はゴスペルの日にする!」

秒速でわたしがそう返したものだから、オットは「え?ほんとに?やりたいことあったんだ・・・」的なビミョーな表情を浮かべ、苦笑いをしていた。

オットよ、男に二言はないのだ。あなたはもう言ってしまったのだぞ。

こうしてわたしは、水曜夜にやっているゴスペル教室を探し始めた。

ラッキーなことに、わたしの住む地域はゴスペル熱の高いエリアだった。

ネットで検索しただけでも、教室、サークル、同好会みたいなものがゴロゴロ見つかった。そのなかから水曜夜に活動しているグループをピックアップし、2ヶ月ほどかけていろいろな教室の体験レッスンに行った。

ひとことで「ゴスペル」と言っても、教室やサークルによって扱う曲のタイプは違うし、そのグループがなにを重視してゴスペルを歌っているのかも違う。当然ながら、グループやメンバーの雰囲気もまったく異なっていた。

そのうちの1つの体験レッスンに参加したとき、冒頭のように感じたのだ。

大人も、こんなに楽しんでいいんだ・・・と。

体験レッスンで、わたしは言葉を失った。

いい大人が、仕事でもなんでもないのに、キャリアアップとも全く関係ないのに、ただ全身全霊で楽しんでいる。ゴスペルを歌うことを。音楽に合わせて自由に体を動かすことを。

そこにいる人はみんな、それまでわたしの周りにいたタイプの人とはまったく違っていた。

突飛な服装をしている人もいた。スーツ姿の人もいた。学生もいた。親子で参加している人もいた。年齢層もバラバラ。普段なにをしているのかも分からない。パッと見では共通点を見つけられないくらい、あまりにもてんでバラバラ。その雑多な人たちが奏でる、力強く美しいハーモニー。

歌っているときの心は1つなんだろう。思わず目が釘付けになるような、心を惹きつけられるような、そんないい表情をみんながしていた。純粋に楽しんでいるのがよく分かる。

大人がこんなに楽しそうにしているのを、わたしは久しぶりに見た

あまりの驚きに棒立ちになりながらも、わたしはこのグループに入ろうと決めた。こんなにもいい大人たちが、自分の楽しみのためだけに時間を費やしている。いい笑顔を浮かべる人たちの仲間にわたしも入りたい、と。

そのグループに入り、今年で12年目。

あのときの1歩で、わたしの生き方は大きく変わった。キャリアアップばかりにアンテナが向いていたわたしに、ゴスペルの仲間たちは教えてくれた。

大人も、どんどん楽しんでいいんだよ

自分が純粋に楽しめるモノが生活のなかにあるかどうかで、QOLは変わってくる。わたしのQOLを上げてくれたのがゴスペルだ。すっかりハマったわたしは、ゴスペルがライフワークになった。

ゴスペルは、得も言われぬ感情を心の底から引き出してくれる。ゴスペルを歌っているときにしか体験できない感覚や感情がある。


あなたに出会えてよかった。ゴスペルを聴くたびに、ゴスペルを歌うたびにそう思う。

あのとき1歩踏みだしたおかげで、わたしは生きるうえでの大切な指針に出会えた。これからもずっとゴスペルを歌い続ける。そして、人生をもっと味わっていく。

だって、1度きりの人生だもの。楽しみたいじゃない。





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