缶ビールと、花火の匂いと、潮の香り
昼の表情もいいけど、夜の表情に惹かれるよな。
さわやかな明るさよりも、寂しげで湿っぽいところにグッとくるよね。
彼と2人でそんな話をしたことがある。
海の話だ。
♢
わたしたちが浜辺に行くのは、いつも夜の10時過ぎだった。
お腹がふくれて彼の部屋でのんびりしていると、「行く?」とどちらからともなく声をかける。
「行く?」だけで分かる。それくらいの頻度で海に行っていた。
彼は押入れをゴソゴソし、こないだ一緒に買った花火セットを準備する。
わたしは冷蔵庫からビールをとり、チョコと柿の種を用意する。彼の部屋には、わたしのお気に入りのお菓子がいつもたっぷりそろっていた。
サンダル履きで自転車にまたがる。蒸し暑くて体がべとついているのに、ためらうことなく腕をまわし、彼の汗ばんだ背中にキュッとしがみついた。
花火、おつまみ、CDラジカセを前カゴに入れて。
わたしが手に持つ缶ビールは瞬く間に汗をかいた。自転車をこぐ彼の首に、濡れたしずくをくっつける。
「ひゃっ、冷てぇ!」
驚いた彼はハンドルを左右に揺らし、後ろのわたしも一緒に揺れる。仕返しに、彼はわざと段差ばかり通り、そのたびに「痛いーー」とわたしは楽し気に文句を言った。
♢
10分で海に到着。
灯りもまばらな砂浜には波の音だけが響いていて、人はほとんどいない。懐中電灯を照らしながら歩く。
砂は昼の暑さを中に秘めていて、サンダルに被さって気持ちがいい。
あまりに気持ちいいので、裸足になって足をわざと深く埋めながら歩く。奥の砂はしっとりしていて、指にまとわりつく感じも嫌じゃない。
彼と一緒だと、たいがいのことは『嫌じゃない』んだよなぁ。
そんなふうに思ったりする。
「よし、ここらへんにしよっか」「うん」
薄暗い海に向かって、2人で大げさに深呼吸する。湿った潮の香りと、生暖かい風。
「夜のほうが潮の香りするよね、海って」
ろうそくを砂浜に1本立て、CDラジカセからドリカムを流す。波の音をかき消さないようなボリュームで。
足を伸ばして砂浜にペタンと座ると、ふくらはぎから砂の温度がジンワリと伝わってきた。
曇り空で海の全貌は見えないけれど、ここは紛れもなく海だ。打ち寄せる波がそれを証明している。気持ちよさそうに広がっている海。
海を目の前にすると、両腕を大きく広げたくなるのはなぜだろう。
「乾杯しよ!」
少しぬるくなった缶ビールは、曇り空の夜の海にピッタリだ。
缶の表面には、水滴に吸い寄せられた砂がたっぷりとついている。磁石みたい。缶の砂がハラハラと落ちるのが、ろうそくの灯りに浮かびあがる。
ビールを飲みながら、2人で波の音に耳をすませる。ろうそくの炎はゆらゆらと揺れ、打ち寄せる波の合間にドリカムが聞こえてくる。
「花火しよっか」
缶ビールの底を砂に埋める。
炎の色を予想したり、どっちの花火が長持ちするか競い合ったり。潮の湿った香りと花火の煙の匂いに、夏の終わりを感じる。
「最後はやっぱりコレだよね」
2人で背中を丸めてしゃがみ込んで、線香花火。
CDラジカセをオフにして、おしゃべりもせず、ただジッと線香花火のゆくえを見つめる。
ふっくらとした火の玉ができた。
--- チリチリチリ…
--- ぽっ、ぽっ、ぽっぽっ、ぽっ
オレンジの炎が彼の横顔を照らしている。祈るように線香花火を見つめる彼はいつになく真剣で、うっかり惚れ直しそうになる。
「来年の夏も、また一緒にここで線香花火しようや」
うつむいたままそう言う彼の手元では、パチパチと枝分かれした火花が、華やかに勢いよくふきだしていた。
もう1回言ってもらいたいわたしは、聞こえないふりをして線香花火をただ見つめる。
「なぁ。来年の夏もその次の夏も、また一緒に海で線香花火しようや」
線香花火の火の玉は小さくなり、砂浜にぽとりと落ちた。
その瞬間、波の音がザザーッと優しく響いた。
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