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缶ビールと、花火の匂いと、潮の香り

昼の表情もいいけど、夜の表情に惹かれるよな。

さわやかな明るさよりも、寂しげで湿っぽいところにグッとくるよね。

彼と2人でそんな話をしたことがある。

海の話だ。

わたしたちが浜辺に行くのは、いつも夜の10時過ぎだった。

お腹がふくれて彼の部屋でのんびりしていると、「行く?」とどちらからともなく声をかける。

「行く?」だけで分かる。それくらいの頻度で海に行っていた。

彼は押入れをゴソゴソし、こないだ一緒に買った花火セットを準備する。

わたしは冷蔵庫からビールをとり、チョコと柿の種を用意する。彼の部屋には、わたしのお気に入りのお菓子がいつもたっぷりそろっていた。

サンダル履きで自転車にまたがる。蒸し暑くて体がべとついているのに、ためらうことなく腕をまわし、彼の汗ばんだ背中にキュッとしがみついた。

花火、おつまみ、CDラジカセを前カゴに入れて。

わたしが手に持つ缶ビールは瞬く間に汗をかいた。自転車をこぐ彼の首に、濡れたしずくをくっつける。

「ひゃっ、冷てぇ!」

驚いた彼はハンドルを左右に揺らし、後ろのわたしも一緒に揺れる。仕返しに、彼はわざと段差ばかり通り、そのたびに「痛いーー」とわたしは楽し気に文句を言った。

10分で海に到着。

灯りもまばらな砂浜には波の音だけが響いていて、人はほとんどいない。懐中電灯を照らしながら歩く。

砂は昼の暑さを中に秘めていて、サンダルに被さって気持ちがいい。

あまりに気持ちいいので、裸足になって足をわざと深く埋めながら歩く。奥の砂はしっとりしていて、指にまとわりつく感じも嫌じゃない。

彼と一緒だと、たいがいのことは『嫌じゃない』んだよなぁ。

そんなふうに思ったりする。

「よし、ここらへんにしよっか」「うん」

薄暗い海に向かって、2人で大げさに深呼吸する。湿った潮の香りと、生暖かい風。

「夜のほうが潮の香りするよね、海って」

ろうそくを砂浜に1本立て、CDラジカセからドリカムを流す。波の音をかき消さないようなボリュームで。

足を伸ばして砂浜にペタンと座ると、ふくらはぎから砂の温度がジンワリと伝わってきた。

曇り空で海の全貌は見えないけれど、ここは紛れもなく海だ。打ち寄せる波がそれを証明している。気持ちよさそうに広がっている海。

海を目の前にすると、両腕を大きく広げたくなるのはなぜだろう。

「乾杯しよ!」

少しぬるくなった缶ビールは、曇り空の夜の海にピッタリだ。

缶の表面には、水滴に吸い寄せられた砂がたっぷりとついている。磁石みたい。缶の砂がハラハラと落ちるのが、ろうそくの灯りに浮かびあがる。

ビールを飲みながら、2人で波の音に耳をすませる。ろうそくの炎はゆらゆらと揺れ、打ち寄せる波の合間にドリカムが聞こえてくる。

「花火しよっか」

缶ビールの底を砂に埋める。

炎の色を予想したり、どっちの花火が長持ちするか競い合ったり。潮の湿った香りと花火の煙の匂いに、夏の終わりを感じる。

「最後はやっぱりコレだよね」

2人で背中を丸めてしゃがみ込んで、線香花火。

CDラジカセをオフにして、おしゃべりもせず、ただジッと線香花火のゆくえを見つめる。

ふっくらとした火の玉ができた。

--- チリチリチリ…

--- ぽっ、ぽっ、ぽっぽっ、ぽっ

オレンジの炎が彼の横顔を照らしている。祈るように線香花火を見つめる彼はいつになく真剣で、うっかり惚れ直しそうになる。

「来年の夏も、また一緒にここで線香花火しようや」

うつむいたままそう言う彼の手元では、パチパチと枝分かれした火花が、華やかに勢いよくふきだしていた。

もう1回言ってもらいたいわたしは、聞こえないふりをして線香花火をただ見つめる。

「なぁ。来年の夏もその次の夏も、また一緒に海で線香花火しようや」

線香花火の火の玉は小さくなり、砂浜にぽとりと落ちた。

その瞬間、波の音がザザーッと優しく響いた。

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