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ドラゴンズ

   生まれたのは福岡市だった。小学2年生になる前に広島市に引っ越すことになった。親父が広島出身だったので、会社に異動願を出して転勤になったのだ。
   福岡市は団地住まいで、ポリ風呂洋式トイレで、当時の言葉でいえば文化的な生活をしていた。広島に移ると五右衛門風呂に汲取和式トイレだった。大河ドラマ風にいえば、「こんなところへきとーはなかった」という気分だ。おまけに転校した小学校の友達からは博多弁を馬鹿にされて、「そいでくさー」とかいうと、「何が臭いの」とか聞いてくる。いじめとかではなく、純粋に聞いてくるだけなのだが、こちらは博多弁が世の標準語と信じて疑ってなかったので、言葉が通じないことにショックを覚えた。
    この辺から僕の偏屈あまのじゃくな性格が出来上がっていった。
   広島という土地に嫌悪感を抱いた。幼い頃にみた原爆資料館の悲惨な展示物にショックを受けたせいもあるかもしれない。
   昭和50年、突然広島は大きく盛りあがった。万年最下位かBクラスの広島カープが鯉のぼりを引っ込める季節になっても頑張っているのである。オールスターゲームでは赤ヘル軍団の名前を浸透させる活躍だ。小学校でもみんな赤いカープの帽子を被って登校していた。この年からカープは赤いユニフォームと帽子にイメージチェンジしていた。
   あまのじゃくの僕はみんなに迎合して、カープの応援などするつもりはなかった。前述した通り広島が嫌いだった。
    プロ野球の王者読売巨人軍は今年から引退した長嶋が監督になったものの、絶不調で、今シーズン球団史上初の最下位に終わる。
   そこで選んだのがカープと優勝争いをしている前年覇者の中日ドラゴンズである。
    当時少年ジャンプで流行っていたトイレット博士のキャラクター、スナミ先生が好きな球団でもあり、僕はそのファンであり、友達4人でメタクソ団をつくって、遊んでいた。その影響もあった。
   赤い帽子の中で1人、青い帽子を被った子供が1人いる。広島市民球場にそんな子供を連れて数回連れて行った親父はさぞ怖かった?だろう。カープは、その年優勝し、街は大賑わいの中、悔しい思いをした。
   それ以降僕は60近い歳になってもドラゴンズファンである。
  ただし、 あれから45年以上経って、カープも広島という土地も今や懐かしい故郷の1つであり、嫌いだったことも懐かしい思い出になっている。
    今年は立浪新監督のもと新生ドラゴンズが優勝しますように。
   

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