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マラソン走者(ショートショート)

 彼は次のオリンピック出場をかけた大会への出場をかけて、毎日特訓に明け暮れていた。絶対大丈夫とコーチはいってくれているが、本人は今一つ自信がなかった。
 マラソンなので、練習で実際に42.195km走る訳にもいかない。実は彼はまだマラソンを完走したことがなかった。マラソン大会への出場自体がなかったのである。1万mでの実績は云う事がなかったが、距離が違い過ぎる。
 彼は練習中、いつも通る道沿いにある神社に毎日お詣りして、マラソン大会での勝利と完走を祈願した。
 大会まであと1週間となった頃、悪い夢をみるようになった。走っていくうちにだんだん足元が重くなっていくのだ。ふと足元に目をやると、足が地面に埋もれている。それでも彼は走っている。だんだん地面の中へと足は沈んでいく。体全体が埋もれてしまう。身動きができない。それでも彼は走ろうともがき苦しむ、そういう夢だった。
 毎晩同じ夢を見た。目が覚めた時は寝不足感で体が重かった。ところが実際、その日の練習になると、いつもより快適に速く走れるのだ。疲労感も感じない。ただ練習が終わるといつもクタクタになった。
 いよいよ大会は明日になった。今夜はさすがにあの夢は見ませんように、と寝る前にお祈りしてベッドの中に埋もれた。
 夢の中、いつものようにいつもの場所にいる。だが今夜は明日の為に絶対に走らないと、たとえ夢の中であろうと決めていた。疲労感が半端ないのである。
 そこへ誰かがやってきた。
「1週間、よく頑張った」
「あなたは誰ですか」
「わしは神だ。毎日我が神社に来てお詣りしてくれておろう」
 どうやら毎日練習の合間に寄った神社の神様のようであった。
「お主の願いを叶えてやるために、この1週間、夢の中で特別な練習をさせてやっていたのだ。足に相当な負荷をかけることによって、お主の足は以前よりまして速く走れるようになったはずじゃ。これも一種の睡眠学習かの」
 なるほど、この1週間の悪夢は神様が自分に課した試練だったのだ、と彼は理解した。
「神様、ありがとうございます。明日の大会はきっと勝てるような気がします」
「大丈夫じゃ。わしがついておる」
 ああこれで何の心配もない。きっと完走する体力も夢の中のきつい練習で培われているに違いなかった。
 
 朝になった。めずらしく、すがすがしい気分で目覚めた彼は、会場にむけ出発した。現場で監督に会うと、
「心配していたんだが、今日は妙に自信が漲っているようだな。勝てそうか」
「大丈夫です。見ていてください」
 自信満々に彼は答えた。
 さあ試合は始まった。みなスタートラインに集合した。ピストルが鳴り、一斉にスタートした。彼は先頭を切り風のように走った。
 彼のスピードは衰えることを知らず、トップを独走した。
「2時間を切る勢いです」
TVのアナウンサーがいった。
 ついにゴールまで残り400mまできて独走であった。だがその時、彼の足に激痛が走り、その場に転んでしまった。そしてそのまま動けずに足を押さえている。
 次々に彼は追い越され、やがてタンカが運ばれてきて、彼は救急車に乗った。
 病院でレントゲンをとり、医者がいった。
「疲労骨折ですね。よほど過酷な練習をしたんでしょうね。練習のし過ぎです」

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