見出し画像

停電(ショートショート)

 12月中旬の午後7時頃、突然停電になった。エアコンも切れた。TVも映らない。照明も駄目。手探りで、懐中電灯を探す。すぐに見つかった。災害の準備のため、すぐだせるところに置いていたのがよかった。ランタンもあった。十分ランタンなら明るいだろう。キャンプに行った雰囲気でたまにはいいかもしれない。
 ところが電池がない。電池もいざという時にストックしていたのに、他に使ってしまっていて、本数が足りない。ランタンは諦めるしかない。
 懐中電灯で、蝋燭を探す。お墓参りグッズの置いてあるところも把握しているので、すぐ見つかった。マッチで火を点ける。居間の中央のテーブルに蝋燭を立てた。皿は適当に漬物用の小皿を使った。
 意外と明るかった。怪談でも始まりそうな雰囲気ではあるが。
 問題はエアコンである。寒い。重ね着をするしかない。そうだ、風呂だ。風呂に入って暖まろう。
 水が出ない。こんなところにも電気が使われていた。マンションのポンプが止まっているのだろう。自家発電装置がついてなかったのかよ。
 仕方ない。ガスコンロでミネラルウオーターを暖め、コーヒーでもつくって飲んで暖を取ろう。幸いオール電化ではないのでガスは使えた。
 コーヒーを飲むのはいいのだが、コーヒーのせいで、トイレに頻繁に行きたくなる。最初はタンクに溜まっている水が使えたからよかったのだが、次からは流れなくなった。幸い昨日の風呂の水を流してなかったので、それを使う。うまい具合にいった。
 ただ便座が冷たいので、これには閉口した。便座に座るのに覚悟がいるのである。心臓に負担がかかりそうである。俺は心臓に持病があり、手術も経験している。トイレで心臓麻痺にでもなったらシャレにならない。下半身露出で、倒れて死ぬのだ。俺は1人暮らしなので、多分誰も助けには来てくれないだろう。だから小便の時は立って用を足すようにした。跳ね返りで床が汚れても後で掃除すればよい。
 だが世の中は無情なものである。腹が痛くなってきて、大便がしたくなってきた。こんなことならシャワートイレとはいえ、便座カバーをつけておけばよかったと、後悔しても始まらない。便座カバーはすぐ汚れるので、面倒くさいからつけなかったのである。
 俺は決意してズボンとパンツを下ろし、露出したケツを一気に便座に密着させた。
 ヒヤッ。心臓にきた。やはりこれは危険な行為だった。負担が心臓に行き、俺は苦しくなり、その場に蹲った。便意どころではない。だが意思とは反対に尻の穴から液体が漏れてきた。便器の中には入らず、それは俺の足元を濡らした。
 俺はその場に倒れ、助けを呼ぼうにも体が動かないし、市が置いて行ってくれた緊急用のブザーも停電では使えまい。こんな死に方をするなんて、洒落にならない。
 ルーベンスの絵の前で死んだネロとパトラッシュと比べれば、何とみっともない事か。(注 フランダースの犬)
 俺は死にたくない、と思いながら、下半身を汚したまま、緊急用のブザーまで腹ばいになって進んだ。まるで太陽にほえろ(昭和に流行った刑事ドラマ)の殉職シーンのように。
 ブザーの向こうに死んだ婆さんがいた。おいでおいでしてやがる。誰が行くもんか。だが俺はブザーの手前で力尽きて、お陀仏した。
 天使が数人?フランダースの犬のラストシーンのように、俺を迎えに来た。俺は天使に担がれながら天に昇っていった。天使たちは皆、鼻をつまんでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?