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時計(ショートショート)

 夜遅く、商店街のアーケードを通り抜けようとしていた。もうどこの店も開いていない。今日は残業で、そのうえ上司に付き合えといわれて仕方なく、上司の馴染のバーで今の時間まで一緒に飲んでいた所だった。
 多少酔ってはいるが千鳥足というほどでもない。家までは少し距離があるが、歩いて帰るつもりだ。酔い覚ましにもなるだろうし、第一独身で待っている人もいない。それに歩いて帰れる距離とはいえ、タクシー代も深夜料金で馬鹿にならない。飲み代は上司が奢ってくれたが、節約である。
 そういいながらも、アーケードの一角で、毛布を広げて、骨とう品を並べている露店販売をしている人物を見つけて、つい寄ってしまった。
 俺は昔からこういうエキゾチックなものが大好きだった。家にもいくつか気に入ったものがある。1つは学生時代にモロッコにいったさいに購入したものだ。簡単な小さな水差しなのだが、模様とか構造がどうも気になって買ってしまったのである。確か日本円で3000円くらいだったと思う。後でぼられたことに気づいたが、値切りもせずに買ってしまったこっちが悪い。世間知らずの日本人だなあ、とつくづく思った。
 あとは民族衣装を着たインドの女性の小さな像とか、それこそインド象の像、置物とか、東南アジアで買った壺もある。どれもガラクタみたいなものだが、見ていて何となく遠い世界にいったような気分になって気に入っている。
 早速買う気はないものの、陳列してある骨とう品を物色し始めた。この手の露天商の店主はだいたい外国人だ。言葉が通じないことも多い。しかも若い人間が多い。故郷を捨ててわざわざ日本にやってきて露天商をしている。彼らの人生にも興味はある。
 だが今夜の店主は外国人ではあるが、日本語ペラペラの老人であった。どこの国だかわからないような民族衣装を着ている。俺が早速目についた置き時計を触ると、いままで地べたに座っていたのに、急に立ち上がりこういった。
「旦那、いいものに気づいたね」
「これは値打ちものかい」
「アラビアの時計さ」
「動くのかね」
「ゼンマイを回せば動く」
 そういうわれてゼンマイを回そうとすると、あわてて店主が止めた。
「勝手に触っちゃ駄目だ。大変なことになる」
「どうなるんだい。すぐ壊れるんだろう」
「そうじゃない。これは危険な時計なのさ」
 俺は興味を持った。早速危険の理由も聞かずに値段を聞いた。
「1万円」
 店主は答えた。幾らなんでも高すぎる。俺は価格交渉を始めた。すると店主は俺の顔を睨み、こういった。
「この時計は後ろのリューズを回すと回した分、過去にも未来にも行ける時計なんだ。だからゼンマイを回すのを止めたのだ。動き出したら怖いことが起きる」
 過去にも未来にもいけるなんてタイムマシンではないか、素晴らしい。なのに何の怖いことが起きるというのだろう。
「それはわからない。私も動かしたことがない。ただそう伝わっているだけだ」
「そうか。2000円なら買うけどな」
 俺はそういった。店主はもう一度俺を睨みつけて本気か、というような顔をした。どうせ演技だろう。付加価値をつけたいに違いない。
「わかった。3000円なら売る」
 店主がそういったので、2500円で買うことにして、相手もそれで納得した。
 さあ早く家に帰ってゼンマイを巻こう。そして時間を合わせて、とりあえずは5分だけ戻そう。100年前とか100年未来とかはどんだけリューズを回したらいいかわかったもんじゃああない。途中で壊れるかもしれない。とりあえずは5分だ。
 待てよ。今ここで10分未来にすれば、家に帰りつくではないか。そうだ。それがいい。俺は道の途中で時刻を合わせた。それからゼンマイを回し始めた。順番を間違えるとどこへ飛ばされるかわかったものではない。
 時計は動き始めた。そして次にいよいよ俺は時計を10分進ませた。
 俺はアパートの俺の部屋の前まで来た。一瞬のうちに。
 本物だ。俺は感極まって叫び声をあげた。近所から「うるさい」と声が聞こえた。
 俺はその声を無視して部屋に入り、今度は過去に時計を回した。少し怖いので、2分前に。
 叫び声が聞こえた。俺の声だ。「うるさい」近所からのクレームの叫び声だ。そして俺が部屋に入ってきた。俺と俺は目を合わせてつい笑ってしまった。
 どんどん俺たちは時計をいじりだした。まずアパートの部屋が俺でいっぱいになった。それから街中が俺で埋め尽くされた。俺が増幅するたびに時計も増幅していった。際限がなくなってきた。
 警察に呼び止められたら、未来へ飛んだ。未来には未来の俺たちがいた。もはや収拾がつかなくなっていった。そして一斉にリューズとゼンマイが切れて、俺は気づけば一人道の真ん中で座り込んで時計を見つめていた。


 
 
 

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