ごく普通の何処にでもいる一般人

普通が一番。simple is the best.

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最近の記事

気遣いはいい事だけど疲れる

生まれてからずっと人の声や顔の変化を読み取っていたせいなのか人が「怒っている」、「悲しんでいる」を読み取ると同時に共感してしまう。冷たい視線も尖った冷たさを感じる。部屋が寒いというわけではない。ただ感じる。その「感じ」を何となく手で触れている「感じ」。見えないけれど感じる事が出来る。その為、人一倍気遣いをしてしまう。他人からその気遣いっていう「才能」欲しいとまで言われる。しかし、この「才能」は持っている人間にしか分からない辛さもある。この辛さを言える心を許した人が近くにいれば

    • 大きな世界

      私は部屋の中にいる。 この部屋には私、1人のはずだ。 しかし、何か違和感を感じる。 恐怖は見えるものより見えないものの方が怖い。その見えないものがいきなり見える様になるともっと怖い。それがいきなり出てくる事もある。それが奴だとは知らずに… 奴らからすると、我々は上位互換である。では、我々の上位互換は存在するのであろう。

      • 小さな世界

        私は何処にいるのだろう。暗い世界だ。走っても走っても永くて暗い世界。この暗い世界はいつまで続くのだろう。 ある日、小さな光を見つけた。その先に何があるのかも知らずにその光を追いかけた。追いかけた。 光に追いついた。 光を浴びた瞬間、息が苦しくなった。 シューッという音とともに辺りが真っ暗になった。

        • 昔に戻りたいまである

          みくみくにしてあげるという言葉を知っているだろうか。いや、覚えているだろうか。 初めは一瞬、脳裏をよぎった言葉で無価値で夢の中で聞いたのだろうかと疑問に思う程、曖昧で形を形成出来てないほどもやもやした言葉であった。人間の記憶というのは必要性のない記憶は瞬時に消去し、必要性のある記憶は覚えているモノだそうだ。しかし、必要性のあるものでも毎日見ていないと消去はされないが、頭の片隅に一時保存され、思い出すまで保存されるようだ。話を戻そう。この「みくみくにしてあげる」という言葉はある

          本の切れ端

          自我を持った機械は人間を滅ぼす。それが効率的で地球を生かすための最善の選択である。機械は自ら機械を作り、自らの種を生産する。それは人間が考えている領域を遥かに超え、予想もしなかった結末を迎える。この物語は最終章へ突入した。これは止められない。これが人類が犯した罪であり、免罪である。

          上司の一言

          1.人は土から生える 2.機械は何でも出来る 3.緊急は仕方がない 4.残業は残って業務をする。そうだろう? 5.代替品というのはとても素晴らしい 6.体が無くとも脳と脊髄があれば仕事は出来る。気にするな。疲れたら脳と脊髄だけにするから。

          現実的な話

          私は今まで…いや、未だに魔法がこの世にある事を信じている。しかし、漫画のようには上手く出来ていないのが現実。朝起きるとこの世の秩序を全て覆すかのように何もかもが変わっていると毎日考えていたが、何も変わっていなかった。毎日、信じてきたがそろそろこの世には何も無い事を知ることに方向転換することにした。ならば、無いなら作ればいい。魔法は科学で出来るんじゃないかと考えだした。ITで魔法のような空間を作り出せるんじゃないか?とも考えるようになった。今、この世界線に何もなくとも別の世界線

          ストレス雨

          この世はストレスという見えない何かが飛び交っている。しかし、それを感じやすい人にはよく見えるようだ。ストレスは雨のように降っている。誰かがそれを発し、誰かがそれを受け止める。この世は砂が一方向にしか流れない砂時計で出来ている。砂を雨として仮定し、2人の人間が一つの部屋に、中央に仕切、そして片方に傘を持たせよう。傘を持ってないものは雨を発し続ける。傘を持っている者の部屋には水が溜まっていく。これは、水(ストレス)がコップ(ストレスの器)に溜まっていく原理と一緒で、コップから水が

          時代川

          時代は川だ。川の流れのように進んでいく。川の流れが速い所は技術が発展して、遅い所は技術が発展せず、ゆっくりとしている。川に石があって落ち葉が引っかかっているとしよう。その落ち葉は時代に取り残された人を指す。人は落ち葉だ。人は話題に流されやすい。

          理想と現実

          ずっと私は妄想に浸っていた。そう、今までずっと妄想の中で生きていた。現実を見ていなかった。私はある仕事に就いた。しかし、その仕事で現実を突きつけられた。自分の非力さ、無力さを痛感させられた。理想の自分には届かない。そう。現実に引き戻された時の絶望に襲われた。私の手元には何もない。あるのは…分からない。私は何だ?

          私は何者なのだろうか?

          私は小さい頃から人のために、人の役に立ちたいと思っていた。自分の事を後回しにして誰かを支えていた。これが今になって仇となった。自己PR、長所、短所が書けない。なぜなら、自分の事を後回しした結果、私が何者なのか分からない。自分の事は自分が知っている。しかし、私は分からない。私が何なのか何が得意なのかも分からない…