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【沖縄戦:1945年3月1日】3月1日の大空襲─米艦載機延約670機が南西諸島一帯を空襲 国頭支隊が謀略・宣伝・防諜などの「秘密戦」大綱を定める

空襲の状況と被害

 1月下旬以降、南西諸島におおむね毎日米軍の大型機が偵察のために飛来していたが、そうしたなかで第32軍司令部は2月26日、次のような情報電を発して警戒を強めた。

球参情電四一〇号
 厦門情報ニ依レハ二十八日夕在支米空軍及太平洋方面米空軍ハ本土及南西諸島、台湾ノ爆撃ヲ企図シアルモノノ如シ

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』)

 前日のB-29の偵察など米軍の動向および那覇港に船舶が停泊中である状況に鑑み、第32軍高射砲隊はこの日朝6時30分から特に警戒を厳としていたところ、海軍より6時45分現在、米軍機の大編隊が接近中との情報をうけ、第32軍司令官は空襲警報を発令した。
 その後、沖縄では7時から午後3時まで、米艦載機延約670機が7波にわたり空襲をおこなった。戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』によると、沖縄島における米軍の空襲の概要は次の通りであった。

第1波(07:04~08:10)延約150機、主として那覇港船舶及び、北、中飛行場を急降下攻撃
第2波(08:10~09:00)延約160機、船舶、飛行場のほか対空火器陣地を攻撃
第3波(09:00~10:10)延約60機、攻撃目標は第二波とほぼ同じ
第4波(10:10~11:20)延約80機、主として船舶及び飛行場を攻撃
第5波(11:20~12:30)延約70機、主として船舶及び飛行場を攻撃 那覇在泊の駆逐艦沈没
第6波(12:30~13:30)延約70機、主として渡具知(嘉手納西)海上の機帆船を攻撃
第7波(13:30~15:00)延約65機、主として対空火器陣地、北飛行場付近及び部落を攻撃

 沖縄島以外でも奄美諸島、大東諸島、宮古諸島、八重山諸島など南西諸島一帯が攻撃された。特に奄美諸島への攻撃は激しく、奄美大島には艦載機延239機が来襲し港湾船舶が攻撃された他、徳之島には延145機が来襲し飛行場が攻撃された。
 軍高射砲隊によるこの日の空襲の戦闘報告は次の通り。

  [略]
 第一回戦斗(〇七〇四ー〇八一〇)(附図第三其ノ一其ノ二)
  敵機ノ行動
〇七一七グラマンF6F八機東南方ヨリ高度約三〇〇〇航速一二〇ニテ本島ニ進入在那覇港船舶並ニ北及中飛行場ニ対シ銃撃ヲ開始爾後〇八一〇ニ至ル間約百五十機殆ンド間断ナク来襲ス敵機ハヴォートシコルスキーF4UグラマF6F並ニグラマンF4U1ヲ主体トシ之ニ少数機ノカーチスSB2Cヲ含メルモノニシテ十二機乃至二十四機編隊ヲ以テ主トシテ本島東南ヨリ進入爾後一乃至二機宛急降下在那覇港船舶並ニ北及中飛行場着陸機ニ対シ銃撃ヲ実施セリ
  戦斗開始
各隊ハ適切ニ目標ヲ選定シ戦訓ニ則リ各種射法ヲ運用シ有効弾多数ヲ浴セ一機二機ト撃墜ヲ確認シ将兵ノ志気大イニ昂ル
  司令官注意
〇七四五司令官ハ各隊ニ対シ初弾必墜眼前撃墜ヲ期スベシトノ注意ヲ発シ各隊亦此ノ趣旨ヲ体シ射弾ノ景況遂[ママ]次良好トナレリ
  気象
当時ノ雲高七〇〇 雲量一〇ナリ
  戦果
本戦斗ニ於テ収メタル戦果撃墜二機損害ヲ与ヘタルモノ六機ナリ
  [略]

(三月一日空襲戦闘詳報 第二十一野戦高射砲隊:『沖縄県史』資料編23 沖縄戦日本軍史料 沖縄戦6)

 軍は、この日の被害について、軍民約50名が死亡、輸送船は6隻以上沈没、民家約200戸が炎上と報じるとともに、高射砲部隊などによる応戦の戦果は撃墜52機、撃破56機とした。この日の空襲は1944年10月10日の十・十空襲や翌1945年1月21日および22日の大空襲に続く大規模な空襲であった。
 また軍は、この日の空襲は硫黄島を出発し南西諸島へ接近した米機動部隊から発艦した艦載機によるものであり、硫黄島作戦の一環として南西諸島を牽制する目的であり、上陸の企図はないと判断した。

「秘密戦」に向けてのうごき

 戦況の悪化により、正規部隊壊滅後、謀略や敵の後方攪乱、防諜、宣伝などの「秘密戦」の必要性が認識されはじめた。特に本土決戦が必至の情勢になると秘密戦の重要性が高まり、沖縄戦ではこれに先行するかたちで秘密戦が企図された。
 既に沖縄には、多数の陸軍中野学校出身の諜報要員が送り込まれた。彼らは、第32軍司令部で情報参謀の補佐を務める場合もあれば、離島残置謀者として民間人になりすまして離島に配備され情報収集をしたり、秘密戦の準備をするなどした。
 独立混成第44旅団第2歩兵隊(隊長:宇土武彦大佐)は沖縄北部に配備され、国頭支隊や宇土部隊と呼ばれたが、支隊はこの日付けで「国頭支隊秘密戦大綱」を発出し諜報・宣伝・謀略・防諜の基本的方針や態度・心構えを定めた。
 その上で「大綱」には、軍が沖縄住民を敵視・蔑視し、警戒していた様子が見てとれる。「大綱」には次のようにある。

国頭支隊秘密戦大綱
 昭和二十年三月一日

 第(一) 総則
一 本大綱ハ球作命乙第五号ニ基ク支隊管内軍官民ニ対スル宣伝ノ実施及防諜ノ指導並ニ遊撃秘密戦準備ノ基本ヲ規定ス
  [略]
三 秘密戦ハ国家総力戦タル今日武力戦ニ即応不可欠ノ勤務トナリ作戦ヨリ戦闘ヘト全面的乃至終期的役割ヲ要請サレアリ
  [略]
 第(二) 諜報勤務方針
  [略]
三 、 防諜ノ指向目標ハ情勢二応ジ変換セラルベキモ敵ノ本攻撃前後二分チ概ネ左記ノ如ク指向スルヲ要ス
 1 、本攻撃前(対内諜報)
 (イ)住民ノ思想動向特二敵性分子ノ有無
 (ロ)政治、経済諜報
 2 、本攻撃開始後
 (イ)軍事諜報(敵情偵知)即チ本来ノ任務二邁進ス
  [略]
 第(五) 防諜勤務方針
一 防諜ハ本来敵ノ諜報宣伝謀略ノ防止破摧ニアルモ本島ノ如ク民度低ク且ツ島嶼ナルニ於テハ寧ロ消極的即チ軍事初メ国内諸策ノ漏洩防止ニ重点ヲ指向シ戦局ノ推移二呼応シ積極防諜二転換スルヲ要ス
  [略]

(『沖縄県史』資料編23 沖縄戦日本軍史料 沖縄戦6)

 第32軍にとっての秘密戦は、敵情偵察や積極的な対敵謀略活動、ゲリラ戦闘だけでなく、住民の動向を監視し、情報を収集して機密の漏洩や通敵を防止するための戦いが含まれており、むしろ第32軍が米軍ではなく沖縄住民に対して展開した戦闘ということができるだろう。こうした住民への異様な警戒は、住民「スパイ」視と一体となり、軍による住民迫害・虐殺につながっていくものと思われる。

「秘密戦」要員の訓練がおこなわれる

 「大綱」がおさめられている秘密戦関係書類にはこの日、村上治夫大尉が稲嶺国民学校で7日まで遊撃秘密戦対外幹部教育を実施する予定とある。村上は陸軍中野学校出身将校であり、国頭支隊とともに沖縄北部に配備された第3遊撃隊(第1護郷隊)の隊長として遊撃戦など秘密戦を任務としていた。村上によって訓練された在郷軍人らは、後に国頭支隊の秘密戦機関「国士隊」の要員としてスパイ活動など秘密戦に従事したものと思われる。
 また村上は、この日の幹部教育を「防衛隊幹部集合教育」とも記しており、防衛隊を掌握し指揮する要員の確保とも位置づけていた。護郷隊では在郷軍人が末端の兵員を指揮する分隊長などを担っていたことから、護郷隊の幹部教育といった意味もあったのかもしれない。

「秘密戦」と米軍の心理戦

 また秘密戦関係書類として第32軍が国頭支隊長に発した「球参情第三十三号 防諜参考資料送付ノ件」には、この日の空襲も含め各空襲時に米軍が飛行機から撒布する謀略・宣伝ビラ、いわゆる「伝単」について情報を集め、解説するとともに、警戒を求めている。
 この日の空襲では、島尻地方や国頭地方を中心に、「君達の指導者は嘘つきだ!!」と題した台湾沖航空戦の戦果の嘘を指摘する伝単、「海軍大将仲村良三閣下は最近次の様な声明をなしました」と題した米軍の制空権の拡大を宣伝する伝単、「連合軍ノ連戦連勝」と題した日本の南方戦線の苦戦を伝える伝単、「御存じですか」と題した米軍の有利と軍部打倒を呼びかける伝単が撒布された。
 これについて球参情第三十三号は

球参情第三十三号 防諜参考資料送付ノ件
 昭和二十年三月四日 球第一六一六部隊参謀長
  [略]
論説
 以上ノ事例ニ見ラルル如ク敵ノ企図スル所ハ(1)物的戦力誇示ニヨル戦意ノ破摧ト(2)軍民離間ニヨル内乱ノ擾起ニ在リ。現在ノ所民心ニ及ボセル影響皆無ナリト雖、戦局ノ進展ト共ニ斯ノ種宣伝ヲ反復実施セラレタル場合、不知不識ノ間ニ民心ニ浸透スルノ虞無シトセズ。厳重警戒ヲ要スベキ点ナリ。各隊ニ在リテハ之ヲ逆用シテ敵愾心ノ昂揚ニ資シ乃至ハ我防諜心ヲ省ミル等々以テ敵ノ企図ヲ完封スル如ク指導相成度、特ニ僻遠ノ地ニ於テ然リ
尚此ノ種伝単ヲ収得(処理)シタル場合ハ速カニ本部ニ提出(報告)相成度
  [略]

(『沖縄県史』資料編23 沖縄戦日本軍史料 沖縄戦6)

と論説をおこなっているが、民心の離反を相当に警戒している様子が確認できる。米軍もこうした心理戦、すなわち米軍もまた秘密戦を展開していたのであり、日本軍はそれへの住民の動向に対し秘密戦を展開していたといえる。

硫黄島の戦い

 米軍はこの日、45分間の事前の準備砲撃の後、朝8時30分ごろより攻撃前進を再開した。これより先、海軍大坂山砲台群の高千穂峡北東側平射砲台は硫黄島西海岸沖の米艦船を猛射し、3隻に損害を与えた。
 米軍は午前中、大坂山、眼鏡岩山頂を占領し、西集落記念碑高地ー大坂山・眼鏡岩ー北飛行場の線に進出した。

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硫黄島戦闘経過要図 黄緑色の線がこの日夜の米軍進出線:戦史叢書『中部太平洋陸軍作戦』〈2〉

参考文献等

・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦
・『沖縄県史』資料編23 沖縄戦日本軍史料 沖縄戦6
・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・我部政男「私論・資料収集における心情と論理─防衛庁戦史室沖縄戦史料を中心に─」(『沖縄史料編集所紀要』第2号、1977年)

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国頭支隊秘密戦機関「国士隊」が保管していた文書綴「秘密戦ニ関スル書類」:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06030046800