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【沖縄戦:1945年3月16日】第10方面軍井田参謀が来沖し、第32軍首脳部と今後の作戦を協議─最後まで作戦方針を混乱させた飛行場確保問題

第10方面軍井田参謀、来沖

 第32軍の上級軍である台湾の第10方面軍は、沖縄への独立混成連隊の派遣を決めていたが、これに関する作戦連絡のため方面軍の井田正孝作戦主任参謀が12日に台北を出発し、石垣島、宮古島を経由して15日に那覇に到着した。井田参謀は、沖縄各地を視察した後のこの日、第32軍長参謀長ならびに八原高級参謀と意見交換を行い、飛行場の確保と航空作戦を中心に今後の作戦方針について話し合った。
 そもそも井田参謀は、第10方面軍による独立混成連隊の沖縄派遣は北、中飛行場の確保を目的とするものであり、米軍に飛行場を奪われ逆利用されることを防ぐことが戦闘の目的と考えていた。また航空作戦は攻撃手段であり、地上作戦はある種の防衛手段であって、地上部隊は航空作戦に協力するよう求めた。
 一方、長参謀長と八原高級参謀はじめ第32軍は、沖縄南部での地上部隊による頑強な抵抗という戦略持久を作戦方針とし、飛行場の確保にそれほど大きな戦略的価値を見出してはいなかった。また飛行場を確保するにしても、米軍上陸が迫るいま、新たに飛行場確保のための陣地構築などは時間的にも兵力的にも無理であると判断していた。
 米軍が飛行場を制圧すれば、本土攻略に使用されるという危惧は第32軍も理解するところではあるが、とはいえ沖縄南部で戦略持久する第32軍を放置して米軍が本土攻略に集中することはありえず、つまるところ沖縄南部で戦略持久を展開すればそもそもの目的は達成できると考えていた。

 北、中飛行場は天一号作戦のためにはある程度必要である。しかし唯それだけのものである。敵がもしこの飛行場を占領しても、軍の地上戦闘には致命的ではない。況や沖縄南部に健在する第三十二軍をそのままにして、敵は本土攻撃の準備をするのは不可能である。必ずや軍を撃破して沖縄南部を手中に入れて、初めて本土攻略の態勢が確立するのである。すなわち北、中飛行場は沖縄作戦、特に天一号作戦のためには、某程度価値はあるが、敵の本土攻略阻止のためには、軍が絶対沖縄南部に頑張っておらねばならぬのだ。本土決戦を有利ならしめることを念願とする第三十二軍はあまり信用のおけない空軍の言いなりに行動することは欲しないのである。軍としては小の虫を殺して、大の虫を生かさんとするのであった。

(八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』中公文庫)

 結果からいうと、飛行場に関する第32軍の見立ては、おおむね正しかったといっていいだろう。米軍は沖縄上陸後、伊江島および北、中飛行場をただちに制圧、修復し、戦闘機などを配備する。それ以外にもあちこちに新規に飛行場を建設するが、第32軍が壊滅するこの年の6月までは、沖縄の飛行場を発着する米軍機の行動は基本的には南西諸島一帯を範囲とし、沖縄付近にやってくる特攻機の迎撃や、沖縄各地の第32軍陣地の攻撃に限られていた。

方面軍と現地軍の合意とその後の混乱

 このように作戦方針の違いが見られた方面軍と現地軍であったが、おおむね次のようなところで作戦方針を合意した。

・軍主陣地に配置した長距離砲で北・中飛行場を砲撃し、敵の飛行場使用を妨害する。
・特設第1連隊および独立歩兵第12大隊の一部は、飛行場地区で上陸してきた敵に抵抗する。
・飛行場が占拠された場合、海陸両方面から斬り込み隊を派遣する。
・第10方面軍は独立混成連隊を沖縄に派遣する。

 両者が合意した作戦方針は、中飛行場のある嘉手納方面に米軍が上陸した場合、軍主力が出撃してこれに抵抗したり、北、中飛行場を奪回するような作戦ではなく、第32軍としては大きな作戦方針の変更はなく、これまでどおり南部での戦略持久が作戦の第一と理解した。
 ところが米軍が沖縄に上陸し、その日のうちに北、中飛行場を制圧すると、大本営、第10方面軍、連合艦隊は大混乱に陥った。第32軍としては戦略どおりであり、それは方面軍ひいては軍中央との合意事項と解しており、大きな動揺もなかったが、慌てた軍中央による飛行場奪回、攻勢移転(総攻撃)の指示により、軍主力による総攻撃という作戦変更を余儀なくされ、戦略に大きな狂いが生じたのであった。
 なお井田参謀は、18日に沖縄を発し、20日に台北に帰還した上で方面軍参謀長に次のような趣旨の報告をした。

・第32軍は兵力増派に対し深甚な謝意を持っている。
・第32軍の作戦構想は本土決戦のための前進陣地である思想は少なく、自己本位の戦略思想である。
・航空作戦計画に不満があるが、主要飛行場に対する約2週間の持久は成算ありといっているが、私としてはやや疑念がある。
・無配備の島に対する熱意が不十分である。
・全般に台湾より防備堅固であるが、端末では欠陥も相当にある。すみやかに訓練の徹底を要する。

 全体的に第32軍に対して手厳しい報告のように感じるが、実際に第32軍と方面軍や軍中央の意思疎通がうまくいっていない部分もあり、「第32軍は大言壮語する割には他者に依存する傾向がある」などと嫌味もいわれており、第32軍を見る目は厳しいものもあったのだろう。
 なお「第32軍の作戦構想は本土決戦のための前進陣地である思想は少なく、自己本位の戦略思想である」という報告は注目すべきである。すなわち方面軍は、沖縄戦を本土決戦のための前進陣地(を確保する)という作戦思想を持っていたが、方面軍から見れば第32軍は自軍の勝手な作戦をやっている、ということである。第32軍も本土決戦のための戦いだという点は認識しているが、ともあれ方面軍が沖縄戦を本土決戦のため、特に本土決戦のための前進陣地(を確保する)という作戦思想を持っていたことは重要であろう。

参考文献等

・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦
・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』(中公文庫)
・林博史『沖縄からの本土爆撃 米軍出撃基地の誕生』(吉川弘文館)
・宇垣纒『戦藻録』下(PHP研究所)

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米軍に占領された読谷飛行場(北飛行場)と駐機されていた日本軍機:沖縄県公文書館【写真番号96-07-2】