制約の中で発展を遂げるメディア・ツール

1ヶ月に1回はNoteを更新したくなる。それはどんな理由であろう。気が病んだときか(前回はそう)、はたまた気分が乗っているときか(そんなときは少ない)、まあ理由をあえてあげるとすれば、きっとそれは創作意欲というやつだ。

***


現在、私はとある理由で就活をはじめている。
2年遅れの就職活動をしていることになる。
そして、社会人の友人と学生の友人のはざまにいるようなものなのである。
だから学生の流行と社会に出た人の流行、両方が耳に入る。

そして私は今回流行っている1つのメディアツールを取り上げたい。

それはBereal というツールである。

このツールは2年ほど前から話題となっていたと記憶している。若者向けのバラエティー番組でも紹介されていて、何か新しいカタチのSNSだなと当時は思っていた。そして知名度を上げたのは2023年に入ってからだったと思う。大学に入ったばかりの学生が授業中通知がきてうるさいなどと誰かが呟いているのを聞いたためであある。

このツール自体は簡単に説明すると以下のようなものらしい(使ったことがないので、聞いた話の憶測をご了承ください。)
・1日うちににランダムで通知がきて2分以内にその場で写真を撮る。
・写真を撮るが、内カメと外カメが同時に起動し撮影される。
・友人の投稿を見たい場合は自分のBerealを投稿しないと見ることができない。


***


このツールの特徴を聞いた際に、「こんなん流行るのか?」と思っていた。

2021年に流行ったクラブハウスというツールを覚えているだろうか?
招待制の音声SNSは希少性を感じ、目新しいものとして広まったものの、使いづらさの方が勝ってしまい、一般登録が可能になった時期には「レア感(例えば芸能人と繋がることができる点)」が消え失せてしまい流行らなくなったようだ。
Berealも同じように制限が厳しく、それが使いづらさに繋がる。仇となって廃れそうだと感じていた。

だが、まあこれ自体は面白いと思う。見るものと見られるものの非対称性から、カメラ(今回であればは写真)における自己言及性を孕んだ撮影が可能で、そういった関係性剥き出しの部分は黎明期のビデオアートを彷彿とさせ、私としては非常に興味深いのである。


***

Twitterは文字数に140字の制限があり、Instagramは24時間しか見ることができないストーリーという機能がある。どちらもある種の縛りのようなものがあり、それをまた、ある種の面白さ捉える消費者たちが発展させたのだと思っている。どちらもついこの間までトップのSNSツールだったと思う。

また、SNSとはインフルエンサーになりうるかもしれない可能性を秘めた承認欲求の一つであると思っていた(言い方が悪くてごめんなさい)
つまり自分のためのツールだと思う。メールとは違って、何か返事を矯正する、されるものではないと思っている。使い方は人それぞれでそこで個性を見出すのだ。

承認欲求のためのSNSは面白さ(興味深さ)が追求される。はずだった。

このツールが特に流行しているのは若者の中でも学生である。
それぞれにもちろん差はあるとしても、生産できるコンテンツの質は前提が学生である。そのため、金銭差が多く生まれるとは考えづらい。

このツールが流行ったのは現代の若者(学生)が承認欲求に、つまり画面の奥の繕う生活に疲れてしまったからではないだろうか。

そんな中、機械任せに自分を見せられるツールがあったらどうだろうか。生産者になる必要はないし、インプレッションに優劣がつかないため、事前に準備して撮影しなくても良い。そして時間は2分以内と迫ってきている。


***


現在、TwitterやInstagramの消費されるコンテンツの質が正直低い。これは誰もが感じていることだと思う。例に挙げるとするならば、いわゆるバズるツイートが、全く信用できない胡散臭い人間の呟きであったり、されにそれに返事(リプ)をつける人間も同様に胡散臭い、またはインプレゾンビ(他人からのインプレッションを生業とする人々)と言われる人たちばかりなのである。見ていて気味が悪い。
Instagramに関してはリール動画が消費コンテンツとして一直線である。再生数稼ぎのために作り出されたそれは、情報を無理くり詰め込み、またはあえて奇を衒う内容をサムネイルとして表示させる。

数年前、SNSはどういうツールだったかというと、消費者と生産者が明確に分かれていた。一般人が生産者になることは好まれず、また生産者が一般人のように振る舞うことも好まれなかったのではないか。極論だが。
しかし、クリエイター(生産者)のハードルが下がった現在、誰もがいちインフルエンサーで、消費者の側面を持ち合わせている。キラキラした生活を送ること、面白いことを発信すること、お金を持っていることがアピールできる場であること。それを通じて、そのリテラシーの低さは社会問題になっていた。

コンテンツの消費速度は加速し、生産速度も加速している。Instagramにおけるリール動画は1日に5000万本生産されているというから驚きだ。


思うに、コロナ以降、SNSによる画面の代替感に私たちは疲れていたのだと思う。それは全てが画面上で進行し、隔たれて感じる人の生に虚しさを感じていた。取り繕ってする生活様式を画面上で昇華する。人を惹きつけさせるためにコンテンツを発信する。そんなビジネスチックなSNSは誰が面白いと感じるのだろうか。

人々は突発的に起きた面白いことが知りたいし、予期せぬことが起きてしまうことをきっと、心の中で期待している。友人の寝起きの顔が見てみたいし、その瞬間反対側に映る恋人の顔もきっと見てみたい。アルバイト先に出勤する顔見知りの奴の疲れた顔はきっと面白く、その内装は殺風景だろうけど、ちょっと気になる。
私の、この何気ない瞬間は内カメに写り、外カメで撮ることができる。それを友人が見てちょっとでも笑ってくれたとしたら——————。


***



まあさて今回綴り出した理由として一つ掲げるとすれば、ユリイカという月刊誌を読んだからだろう。それには友人の批評(?厳密にいうと批評ではないと思うが、それが詩と批評と掲げているので批評ということにする)が載り、自分の感想もちょろっと載り(大変ありがたい)、流れで他の方の率直な文章を見ることができて触発されてしまった。きっかけなんてこんなもの。

とまあ今回はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?