見出し画像

映画「母性」を観てきました

友人が、「母性」を観て私がどう感じるかききたいというので、「そうか、それでは・・」とさっそく映画館に足を運んできました。

事前に「どんな映画かな。」と調べたら、
大地真央、永野芽郁、高畑淳子、戸田恵梨香、
みんな好きな女優さんでしたし、
自身も、母や娘たちとの間に、さまざまな問題や葛藤を抱えてきましたので、とても興味がわきました。

二世代にわたる母と娘を中心にして
嫁と姑、小姑、夫、友人、祖母、孫、

同じ人間が、相手が変われば立場も変わる。
映画の中で、さまざまな人間関係が、絡み合っています。

母とルミ子の関係で、
母親の言うことが、そのままルミ子のおもいとなる。
そんなところが、かつての自分と重なり合いました。

母親は、自分が娘にどんな影響を与えているのかに気づいていない。
「好きでない」ものでも、母が「好きだ」と言ったら、好きになる。
それは自分を偽っていることになるのですが、そのことに母も娘も気づいていない。

母親になったルミ子は、自分の娘に「おばあちゃんを喜ばせる」ことを、
自覚がないままに強要する。

映画では、いくつかの場面を、母ルミ子と娘清佳のそれぞれの目線から捉えていきます。
そのズレが、まことにおそろしい。

母は「あなたを愛している。」といって娘を抱きしめる
娘は、同じ場面を母に首を絞められたと記憶している。

きっとどちらも本当なのでしょう。

人の記憶というものは、そういうものなのかもしれません。

私が記憶していることも、もしかしたら、母の視点から見たら
まったくちがったものになっているのかもしれません。
娘ともしかり。

清佳が妊娠したことを、ルミ子に伝えると、ルミ子は「怖がらなくていいのよ。」とかつて自分が母から言われた言葉をそのまま娘に伝えます。

清佳は「女には2種類ある。それは、母親と娘だ。」と言います。

母であり娘である私。

どんなに歳を取っても、いなくなっても なお母は恋しい。
そして、同じように 成長して離れていっても、娘がいとおしい。
それは ずっと抱き続けるおもいなのでしょう。
その私のおもいが 母や娘には どう伝わったのでしょう。

ひとからひとへのおもいは、そんなふうに、つながっていくものなのでしょう。
どこかで たとえほんのわずかでも 母と娘のこころの琴線が響きあえたらいいと願わずにはいられません。

ふかく こころを さぐられる 作品でした。

こころがいたい
つらい、さみしい、せつない
でも、光はある
いきていこう

そう思わせてくれた作品でした。

この文章をそのまま友人に伝えようと思います。
この作品を観るきっかけをくれた友人に感謝します。

#映画感想文 #映画母性

この記事が参加している募集