Bon Joviの「These Days」とわいの音楽観

 

 私にとって音楽とは楽しむためだけのものでしかない。邦楽も洋楽も、クラシックもEDMも楽しみ方の差異はあれど私にとっては楽しむだけを目的としている。ただ、その「楽しみ」というものは多種多様で一概に一言で語るべきものでもない。歌詞がある音楽ならばそこで語られているメッセージを感じ取る。歌詞なしのインストゥルメンタルならばその音色と作曲の背景を感じ取る、といったように「楽しみ」の感じ方考え方は様々だ。

 私が最も歌詞の意味をくみ取って深く印象づけられた曲の例を上げるとするならば、Bon Joviの「These Days」だ。この曲が発表された当時、Bon Joviはマーケティング会社にまんまと利用され、解散危機に陥っていた。日々繰り返されるワールドツアー。メガヒットを飛ばしすぎて、彼らは疲れに疲れメンバーの結束も崩れかかっていた。その危機を何とか乗り越えて発表したのがアルバム「Keep The Faith」と「These Days」だ。この二つのアルバムで歌われているメッセージはすべて哀愁漂うモノでそれ以前のアルバムであった家族的なメッセージは少なくなり、個人に対してのメッセージ性が強くなった。その極北ともいえる曲が「These Days」だ。この曲はBon Joviの曲の中でも非常にダークな雰囲気で、歌詞も当時のメンバーの背景を色濃く伝えている。「かつて夢を持ったがそれは消え失せてしまった。時代は流れゆく。結局最後に頼れるのは自分だけだ…」確かこんな歌詞の一節があったと思う。かつてロックンロールの憧れた「夢」、しかし実際は「夢」というものははかないものだった、というのはBon Joviのことを調べればどんな意味をもつのかは想像に難くないだろう。以上が、この曲で語られていることだ。ではなぜ私は非常にこの曲に感銘を受けたのか。それは当時の私が「子供から大人」へと移り変わる過渡期的な時期にあったからだろう。なにもかも自由気ままに遊べていた時代から「やらなければいけない」というような必然に遭遇するようになる。今までは近しいと思っていた存在が遠くなっていく。それは個人のアイデンティティが形成されていくためだ。頼ってばかりでは生きていけないというある種の強迫観念が私を襲い、かつての自由へのあこがれが消え去っていく。それはまさに「These Days」で歌われていたようなことだ。この曲を聴いたのは中二ぐらいだっただろうか。私にとってはまさに思い出したくない暗黒時代だった。「やらなければいけない」ストレスで押しつぶされ、大人になっていく時代。私にとってこんな時期に聞いた「These Days」はひどく印象に残ってしまったのだ。いい意味でも、悪い意味でも。

私にとっての音楽というのは「楽しむ」ものだと上でいった。「何を馬鹿な、全然楽しんでないじゃないか」と思うかもしれない。しかし「楽しむ」こと----これは「娯楽」と言い換えてもいい----は私にとっては気晴らしだけではなく人間にとって影響を大きく与えるものであり、ともすれば人生観すらも変化させる大きな要素なのだ。広義でいう「芸術」や「表現」とはことほど左様に人間の考えを知り、蓄積させ、変化させる。音楽も例外ではない。これが私にとっての「音楽」であり、同時に「芸術」の楽しみ方でもある。

現在、Bon Joviはリッチ―サンボラも脱退しかつての姿は見れなくなったように思える。しかし最新アルバムの「This House Is Not for Sale」は往年のファンからも概ね高評価であるようで、少し気になっているところだ。

いまのBon Joviは90年代の彼らと近い状況になっているのかもしれない。メンバーの均衡が崩れ、また不安定になってきている。だがそこはBon Jovi。今まで危機を乗り越えてきたように、再び輝かしい姿を見せてほしいものだ。


「These Days」Bon Jovi6枚目のスタジオアルバム。

「Keep The Faith」Bon Jovi5枚目のスタジオアルバム。

This House Is Not for Sale」Bon Jovi最新スタジオアルバム。


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