地域の資源を活かし、ナリワイをつくる
団塊ジュニアの世代として、目まぐるしい時代の移り変わりや価値観の転換に不器用ながらもなんとかしがみついてやってきた。
振り返れば節目節目での判断はだいたいが逆張り、ピンボケで、
当時も今も主流とはズレてばかりだった。
しかし、本能的に選択した「会社組織に依存しない」ということと
「自然や緑に関わる仕事をする」ということだけは
今でも間違ってなかったと思っている。
そうして造園・園芸家としてキャリアをスタートさせたが、
自然と関わる仕事をしているとはいえ、それはずっと
資本主義社会の枠内、消費者としての都会での暮らしが前提での生き方であった。
このままこのような暮らしを続けていくのか、将来のビジョンはぼんやりしていたが、
仕事を独立するタイミングで、働き方や生き方のコアになるようなものを探して、いろいろな模索をした時期があった。
そんなときにパーマカルチャーに出会い、新しいビジョンを得て深くコミットした。
都市での実践も行ったが、可能性と同時に都市での活動の限界も感じた。
それは地に根差していない借り物の土台の上にいくら積み上げても、
都市の都合でいくらでもひっくり返されてしまうというものであった。
そんな中、家族をもち、もっと地に足のついた里山での暮らし、
自分のフィールドで場づくりをしたいとの思いが強くなってきたところに、
この旧藤野町の篠原地区域にご縁ができたのだった。
東京からの距離は近いが、観光地と呼ぶには
これといった観光資源に乏しい関東近郊の中山間地、藤野。
見渡す限りのスギ・ヒノキの人工林、かつて先人たちが将来を思って植えたものだろう。
何代か前までは地域の資源をくまなく活用した営みが存在し、
美しい里山の風景がつくられていたのであろう。
田んぼ、畑、炭焼き、薪割り、木材の利用、お蚕。
人が自然に手を入れて切り取ってきた二次的な自然としての里山、
それは先人が創ったひとの暮らしと自然との共存であった。
しかし時代は変わった。
市場経済にのらない、先人が築いてきた里山、その暮らしの風景は失われていく。
田んぼや畑は耕作放棄地に、山は荒廃し、災害、獣害も増え、
地域は高齢化や過疎化が進行している。
いったん人が手を入れた里山は放置したままではそれ以前の元の自然に還ることはない。
暮らし始めてわかってくる地域の課題。
そんな中、自分は造園・園芸家として何を思うか。
それは、自分が住んでいる地域を素敵な、美しい場にしたい、
住んでいてちょっと誇らしくなるような地域にしたいというシンプルな思いであった。
暮らしの風景が感じられる美しい景観、永続的な文化、そこに住む多様な生物、
ただの見た目の美しさだけではなく、
地域の文化として
代々引き継いていけるような、
年月を経ることでますます美しくなるような、
そんな地域にしたい。
そして毎日を楽しく、しあわせに暮らしたい。
そのためには自分だけでなく身の回りのひともしあわせに
家族、子どもたち、ご近所さん、集落、地域全体、
関わる人すべてがしあわせになれるような、そんな課題解決をしていきたい。
ひとつは地域の資源を活かす、
ひとつは地域でナリワイをつくる。
このかけ算から、結果として地域が美しくなり、住民みんながハッピーになる、
そんな仕組みをつくりたい。
日本全国で里山の再生や振興の活動は行なわれているが、それとはまた視点を変えた
自分の歩んできた造園・園芸という切り口から挑んでいきたい。
ちょっとした知恵と創意工夫でその突破口を開きたい。
その第一歩としての「しのばら園芸市」。
身の回りからはじめる小さな挑戦だ。
地に足のついた活動を積み上げていく、その先にしあわせを
この混迷の時代にどう生きていくのか、その生き様をデザインしていく。
そしてそれは自己実現にもつながっていく。
ささやかながらも大きな一歩に
思い出づくりでは終わらせない次世代につなげる礎に
これはこの地域からの小さな革命なのだ。
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