オトナになること

牡丹です.今回はオトナになることについて私の意見を纏めてみようと思います.今回の記事では,世間一般でいうオトナになれだとかオトナの遊びだとかそういう場面で用いられるオトナを指します.

私が思うオトナとは,人生においての結果の部分だと思います.人生は初期,それから過程,そして結果,最後に末端の4つに分けられると考えています.初期とは生後間もない周りを取り巻く環境が重視される場面で,過程の部分は学生生活での多種多彩な分岐を選択する場面,結果の部分は社会に出てから老年までの長い間を指し,それ以降の人生を省みる場面が末端です.人生の流れに沿って述べると,まず環境で初期設定が構築されそこから自立開始して行動選択を繰り返し,ある程度分岐先が収束したらそこがオトナと呼ぶべき部分で,最後は一連の流れを振り返るといったフローです.ここで,最も長いのが分岐先が収束した後の部分,すなわち社会に出てオトナになった部分というわけですが,人生において最も大事な部分が必ずその部分というわけではありません.環境に恵まれる必要があるため生後間もない初期が大事であったり,分岐を選択することで将来を大きく左右する過程の部分が大事であったり,あるいは人生を振り返った際に後悔しないようにと末端を大事にするという考え方もあります.私はどの工程も非常に重要だと考えていますが,最も大事なのはオトナにチェンジする瞬間ではないかと思っています.

オトナと子供の明確な違いは,視野の広さであると考えられます.よく,学生というのは籠の中の鳥のようと喩えられることがありますが,私は学生というのは入り組んだ迷路の中にいるようなものと考えています.オトナたちがしばしば間違った道を迷路の中の子供に教えて,その通りに進めば子供は不幸せな思いをしてしまうのです.そして,悪いゴールに到着した新しいオトナたちは次の子供たちを自分と同じ方へ招こうと意地悪な道案内をするわけです.人類にとって失敗することは最も簡単なことなので,大抵の子供たちが悪いダメなオトナたちの手招きを鵜呑みにしてしまい,その結果自分のやりたい夢を捨ててしまったりと迷路を出た先で苦渋を味わうこととなります.つまり言いたいことは,オトナの指示に必ずしも従えばいいというわけでなく自分の意思を誰かに曲げられないようにする,それだけです.もちろん,全く言うことを聞かなければ魔物が牙を剥いて襲い掛かってくるでしょう.しかし,子供から見たオトナというのはたかが先に生まれただけで功績も残していなければ偉いというわけでもないので,無理をして言うことを聞かなくても良いのです.また,オトナは子供に生き方を指導する必要は無く,こうすると楽だとかアドバイスを提示してやれば良いわけです.

これを読んでいる子供に分類される方は,誰かの意見に流されて自分の意思を忘れていないでしょうか?これを読んでいるオトナに分類される方は,誰かに意見を押し付けて個性を傷つけたりしていませんか?各々がそれに気付いて間違いを押し付け合うことが無ければ,今の地球はあと700倍くらい良くなると思います.思いやりと意思の尊重が求められる時代に差し掛かっているのです.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?