2種類の生き方

牡丹です.今回は人間の生き方について言及していこうと思います.

人間の人生は多種多彩で,今こうして生きてゆく人々のパターンすら数知れず,歴史上の話まで加えれば膨大なものとなります.そんな多くの人間の生き方を,大きく2つに分類することが可能であると考えています.

まず1つは,誰かにとって唯一的な存在になれる生き方です.人間は社会的な生物ですので,何かしらの形で必ず他の人と関わっていくものです.そんな中で,特に誰か他の人の唯一的な存在になれる生き方,特殊な言い方をすれば社会において必要な人間となる生き方です.具体的にどのような人間が該当するか例を挙げると,婚約者・パートナーが存在する人,誰かにとって尊敬にあたる有名人などが挙げられます.このような人々は他の誰かにとって欠かせない存在となりますので,自身の振る舞いについて常に意識する必要があると思います.良く言えば誰かの為になれる社会において需要の高い人間ですが,裏を返せば注目を集める分自由ではない,そんな人生です.

もう1つは,何かの代わりであり続ける生き方です.前述のタイプと比較して,特別に必要とされるわけでなく広く浅く需要がある人間が該当します.もちろん社会にとって重要な役割を担う事だってありますが,当人じゃなくても良い,そんな感じです.ネガティブな言い方をすれば,誰か他の人の唯一的な存在になれる生き方に対して,誰か他の人の唯一的な存在になれない生き方と表現することもできます.このような人は婚約者・パートナーも存在せず,誰かに尊敬されたり注目されることもなく平和に,平凡にやっていける特徴があります.ここまで聞けば悪いようにも思えますが,注目を浴びないというのは人目を気にした生き方をする必要がありませんので,自由度が高い人生でもある,と言えます.

では,何故2つの生き方に分類するのかです.おそらくほとんどの人間がこれを見た際に前者の生き方に憧れると思います.しかし,全員が前者の生き方をすることは不可能で,仮にもしそれが実現してしまえば人間社会は成立しなくなります.しかし,人間とは希望を抱く生き物で一般的に見れば進んで後者を選ぼうとしないでしょう.前者になれなかった人々は後者にならねばなりません.

ならば,後者に割り振られた人々は泣き寝入りするしかないのでしょうか.答えはNOです.私が最も言いたいのは,人間は(特に日本人は)希望や幸福など人間が目指すべきものが前者のような生き方だと,そんな固定観念に囚われすぎではないかという事です.人間は例外なく前者の生き方を目指すべきだ,というのは完全に正しいわけではなく,反例も存在すると考えて良いのです.本当にダメなのは,前者の生き方に憧れていたけど自分は後者だったというキッカケで絶望するケースです.当然,人間社会において前者の生き方は評価されやすく,後者は評価されにくいです.しかし,社会で評価されるだけが人生というわけではありません.モノは捉え様ですので,自分は大役を背負わずラクできる,と考えた方が良いのです.名誉という柵に入らない立場というのは,やりたい事が後から浮かんだ際に前者と比較してアドバンテージを取ることができます.

人間は2種類の生き方があり,誰かから必要とされる人間と需要はあるが陰から支える側となる人間,この2つについて説明しました.どちらも社会においては大切で,割り振りのバランスは重要です.これを読んでいるあなたは,どちらの人生を歩んでいるでしょうか.自分はきっと後者だろう,と投げやりな気分になってしまう人も,前者と違う良さのある生き方ができると考えるだけで世界の見え方がガラッと変わると思いますし,ある日突然何らかの形で,実は前者の生き方だったと気付かされる場面が訪れるかも知れません.生き方は人それぞれですので,自分に合った考え方を見つけてみてはいかがでしょうか.

何でもできる人って魅力的ですよね.私も何でもできるオールマイティな人間を目指してみたいと思うのですが,魅力という点まで再現できずに悩んでいます.魅力についての話は妖精の仲間から何度か話を聞いているので,今後それについても書きたいと思っています.

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