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空気が読めてコミュ力ある私にも苦しさはある (#コミュ力なんていらない に寄せて)

こんばんは、bosyuさんです。本日、bosyuの代表石倉さんの著書「コミュ力なんていらない」が発売になりました!!

届いて早速読んで、石倉さんと日々コミュニケーションをとりながら働くひとりとして「たしかに、石倉さんこんな返しの時あるよね」という部分が多く、読めば読むほど石倉さんそのままという感じ。本にも「自分のキャラクターを統一する」というテーマがありましが、まさしく彼を体現した一冊だと思いました。

コミュニケーション能力ある?ない?

ところで、私、bosyuさんはコミュニケーション能力があるか・ないかでいうとTwitterでもわいわいしてますが、ズバリ!ある方だと思います。そもそも、人と会うのが好きだし、おそらく「空気」と言われるものも読めるし、直感もいい方ではないかと。

また、正直苦手だなと思う人もいても、遮断!というよりはどこか魅力や自分と共通点はないかな〜とうっすら探したりするタイプ。人の気になる部分って、「自分で自分を認められてない部分」と似てたり、嫉妬の裏返しだったりもするので、気持ちに余裕がある時は「なんでこの人苦手と思ったんだろう?」と紐解いてみると発見があったりするんですよね。

今まで、仕事でもたくさんの人と関わる働き方をしてきました。前職までは、プロジェクトで性格や考えがマッチしない人の間に入って、潤滑油みたいな役割や、全体の調整役を自然としていることが多い人生です。

自分のコミュ力を分析してみた

上で、「空気」と言われるものも読めるし、直感もあると書きました。

厳密にいうと空気が読めないこともあるんですが、「あ、私この空気よめてないな…」とわかって、そういう時はその話に加わるためのベースの情報が足りていないことが多いです。

もっというと、空気を読んだ上で「空気を読まない」こともあります。それは、その空気に従いすぎると、うまくいくこともいかなくなるな…と思った時に発動するやつです。

恐らく著書で「読めない空気は読まなくていい」と書いている石倉さんからすると、ここで書いてることは何言ってるかわからないw状態だと思うのですが。

(もし、bosyuさん空気読めないやんwと思う友人がいたら、おごるのでそれをネタに飲みにいきましょう)

また、昔から人のちょっとした変化に気づきやすく、友人がリップ変えたはもちろん、なんか落ち込んでる?と思ったら彼氏と別れてたり、なんか元気なさそう?と思ったらその後早退したりとか。そういうことが毎日のようにあります。

さらに直感の話をすると、昔の彼が浮気っぽいことをしてる時に送ってきたメール数行でいつもと違う…?と気づいてしまうことがあって、そういう時はだいたい後でやっぱり…となるんですよね。(メールのタイミングやことば・絵文字の使い方に違和感あったりしてピンとくる)

こんな感じで、空気を読むのが得意なのと、根が明るくたのしいことが好きなのもあり、いつからか自分はコミュニケーションが得意な部類の人だと認識するようになりました。

今となっては、ここですらすらと言語化できるくらい「空気が読める自分」を理解できるようになりましたが、小さい頃は、まわりを察しすぎてしまう性分が、生きづらさにつながっていたようにも思います。

感受性がつよすぎて困る事件

小学生の時、唯一父に怒鳴られた記憶があります。もはや発端は覚えていないけれど「OO(私の名前)は感受性がつよすぎてこまる!!」と言われたことが、今も頭から離れません。

すごくやさしくて子煩悩の父なので、あれは私にむけた怒りではなく、父の心の叫びだったのかなと今は思うけれど、親も手こずる感受性のつよさって。家族からは、ことあるごとに「OO(名前)は繊細だから」と最近までいわれていました。

あまりに言われるので、繊細=人間のデフォルトと思っていた時期もあり、社会人になっていろんな経験をする中で『自分はたしかに人より繊細かもしれない』『私はどうやら空気が読める人ようだ』と気づいていったくらいです。

空気を読む、ってこんな感じ

基本的に、私は「空気を読んでやろう」と全く思っていません。でも、なぜか雰囲気とか言葉にならないものを感じたり、普通は気づかない人の小さな変化に自然と気づきます。

『空気』を言葉にするなら、めちゃめちゃイライラして「側にいたくない」と思う人を思い出してください。鼻息あらくイライラオーラをまとった人のそばにいると、なぜか自分まで疲れてしまったりしませんか?逆のシチュエーションだと、子どもがテンション爆上がりしてる時、その楽しそうな感じは遠くからでもわかりませんか?

そういう感じや雰囲気を周りの人みんなから感じて、その調和としてうまれる「空気」を感じ・察っしているという感じ。…空気は空気でしかないのに、不思議な話ですが。

読んだ空気のこたえ合わせ

今までそんな風に、空気を読み・直感に従って生きてきました。例えば、転職6社めですが、その多くは誘われたその場でカジュアル面談を決め、面談ではその場で内定承諾してきました。旦那さんと出会って3ヶ月で結婚を決めたし、私の人生一事が万事こんな感じです。

でも、いつも楽しく働いているし、毎日幸せにくらしているので、私調べでは、私の読んだ空気や「いまだ!」と直感に従った動きは間違ってなさそうです。

もちろん、たまに空気を読み違えた〜と思うこともあるし、読んだ空気に○×はありません。でも、空気を読んだ上で、やらかした〜!とか、全然違った〜!という記憶がほぼないので、今までの人生で読んだ空気を振り返ってみるといい線いっている気がします。

コミュニケーションが好きな訳

そんな私がコミュニケーションが好きな訳。それは意外にも、うまく伝えることができない・言ったのに伝わらない時代が長かったからです。

空気が読めすぎてしまうがゆえに、高校生くらいまでは、これを言ったら嫌かな?とか相手はきっとこう言ってほしいんだろな…と察しすぎて、自分の意見を言えないタイプでした。

周りの子に合わせて、誰も嫌な思いをしないのが一番と、自分の思いを封印し、友人と自分の幸せを混同してこじらせていた時期もあるように思います。

また、自分が空気が読めるので、相手も自分と同じくらい察してくれているだろうという勘違いに加え、肝心なことを伝えるのが苦手な気質もあって、言ったのに自分の意図通り伝わらない、ということが人生でたくさんありました。

だからこそ、自分のことばでおもいを伝え・相手に伝わり通じ合ったと感じられたり、たのしい・わくわくなどのきもちをシェアできた瞬間にたまらなくしあわせを感じます。だから、だれかとコミュニケーションできた時のよろこびが、私のコミュ力を育みつづけているように思うのです。

コミュ力と付き合って生きる

人より空気が読めるからこそ、気をつけていることもあります。例えば、私みたいに空気を読めたりコミュ力ある人を、苦手とする人も世の中にはたくさんいるということ。私がよかれと思ったコミュニケーションが、相手には負担かもしれない。コミュ力ない人の気持ちがあまりわからないので、想像ですが、コミュ力を押し付けないように注意しています。

そして、そもそもコミュニケーション力だけでは、物事の本質は動きません。石倉さんが本で「コミュ力がある、と仕事ができるは関係ない」と書いていますが、本当にその通り。

コミュニケーション能力は、おまけ。潤滑油のようなもので、あると便利だけどなくても物事はすすむと思います。実際、コミュニケーションのゴリ押し(?)でぐぐっと進めてしまったけれど、蓋をあけたら中身がなかった…みたいな失敗談もあるし、一度楽しくコミュニケーションしたからといって、人間関係が築ける訳でもありません。

さらに私自身、この察しすぎる性質に疲れてしまうことも多く、ひとりの時間がないと自分をリセットできません。スイッチが入ると息するようにコミュニケーションできてしまうし自分も楽しいため、少し意識してコントロールしないと1日がおわる頃には、へとへとになっていることもあります。

意外かもしれませんが、空気が読めてコミュ力があっても、それとうまく付き合う必要があるのです。

コミュ力ある人にもおすすめ

こんな調子で、石倉さんとは正反対の私ですが、本を読んで共感する部分も多くありました。正直、コミュ力ある私には表面上、必要ないTipsも紹介されています。でも、なぜ石倉さんがその方法にたどり着いたか考えると、切り口がコミュ力なだけで、自分らしく無理せず生きる本質が詰まっているからです。

また、コミュ力ある私も「コミュニケーション能力」という言葉の呪いにかかっていると思うことがあります。

例えば、私はプレゼンがすごく苦手なんですが「bosyuさんはコミュ力ある」という理由だけで、プレゼン含め人前案件を振られやすくなったりします。すると、私も得意でないのに「コミュ力あるからプレゼンできるはず…」みたいになってきて…。よく考えるとプレゼント力とコミュ力全然ちがいますよね。(これは例で、bosyuでそんなことはないです!!)

この本にはコミュニケーション能力の有無やレベルに関係なく、仕事や人付き合いで悩んだときのヒントがつまっています。ふとした瞬間に、また読み返すだろなぁ。

さいごに、一緒にはたらく仲間として、石倉さんのまじめでまっすぐな性格が垣間見え、読みながらとっても誇らしいきもちになりました。むずかしい本が苦手な私でもサクッと読めたので、本をあまり読まない方にもおすすめです。

おわり


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